えんぶ本誌の宝塚記事取材の機動力を生かして、宝塚歌劇の製作発表、会見などをいち早く紹介。 宝塚OGの公演やインタビューのほかに公演の批評なども展開しています。

『カリフォルニア物語』

レビュー

劇作家の作家への愛に溢れた作品で月城かなと東京初主演!宝塚歌劇月組公演『THE LAST PARTY〜S.Fitzgerald's last day〜フィッツジェラルド最後の一日─』

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宝塚月組の男役スター月城かなとの東京初主演作品Musical『THE LAST PARTY〜S.Fitzgerald's last day〜フィッツジェラルド最後の一日─』が上演中だ(日本青年館ホールは20日まで。大阪・梅田芸術劇場シアタードラマシティは6月30日〜7月8日まで上演)。

Musical『THE LAST PARTY〜S.Fitzgerald's last day〜フィッツジェラルド最後の一日─』は「華麗なるギャツビー」をはじめとした、狂騒の20年代を象徴する、アメリカ文学史上に大きな足跡を残した作家、スコット・フィッツジェラルドの半生を描いたミュージカル。04年に大和悠河主演の宙組、大空祐飛主演の月組で初演され、06年に東京再演を果たした植田景子の意欲作で、主演のスコット・フィッツジェラルド役に月城かなとを擁して、12年ぶりの上演となった。

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【STORY】
1940年12月21日。アメリカ文学を代表する小説家スコット・フィッツジェラルド(月城かなと)は、恋人であり、保護者のような存在でもあるシーラ(憧花ゆりの)の、ハリウッドのアパートメントで、長編「ラスト・タイクーン」の執筆に取り組んでいたが、重い心臓発作に倒れる時が刻一刻と近づくのを感じていた。彼は人生の最後の幕が下りる前に、その半生と自分を取り巻いた時代と人々を思い起こす。

アメリカ中西部の田舎町セント・ポールで貧しい少年時代を過ごしたスコットは、偉大な作家となり富と成功とアラバマ・ジョージア2州に並ぶ者のない美女、ゼルダ(海乃美月)を手に入れるという、野心に燃えていた。スコットにとってゼルダは夢のすべての象徴だった。そんな彼の才能を認めたスクリブナーズ社の編集長マックス(悠真倫)の尽力により、1920年「楽園のこちら側」で文壇デビューを果たしたスコットは、ニューヨークにゼルダを呼び寄せて結婚。アメリカに訪れた空前の好景気の中で、ハンサムな人気作家と、彼が描くヒロインのモデルであり、フラッパーガールのシンボルでもあるその妻は、瞬く間に時代の寵児となっていく。
だが、大衆受けする売れっ子作家としての名声も手放したくないながら、本格派の芸術作品を書きたいとの作家としての欲求の間で揺れ動くスコットは、連日連夜のパーティに明け暮れる日々の中で、次第に自己の葛藤を肥大させていく。一方ゼルダもまた「人気作家の妻」としてではなく、自分自身で自己実現を果たしたいという想いに苛まれていた。
そんな妻の想いを知らぬまま、スコットは1924年すべてをやり直そうとアメリカを離れ、南仏のリヴィエラに居を構え、長編「華麗なるギャツビー」の執筆に作家生命を懸けて打ち込んでいく。そんなスコットの姿に更に焦燥と不安を募らせていったゼルダは、彼女に想いを寄せる海軍士官エドゥアール(英かおと)と密かに親密な関係を築いてしまう。妻の異変に気付いたスコットは、その疑惑をも「華麗なるギャツビー」の世界に投影させて作品を書き進めていたが、遂にゼルダとエドゥアールの密会現場に遭遇し、ゼルダを激しく責める。絶望したゼルダは多量の睡眠薬を飲み自殺を図り、かろうじて一命はとりとめたものの、すでに二人の間には修復不可能な亀裂が生じていた。その傷口を見つめたまま二人はリヴィエラを去る。
「華麗なるギャツビー」を書きあげたスコットは、名実ともにアメリカ一の作家との賞賛を浴びる中で、1人の青年の原稿に才能の煌めきを感じ、彼をマックスに紹介する。その青年こそアーネスト・ヘミングウェイ(暁千星)だった。
そして1929年、ニューヨーク株価の大暴落により世界恐慌がはじまり、狂騒の20年代・ジャズエイジの時代は終焉を迎え、その時代と共にあったスコットの栄光に彩られた人生も、大きく変転していく。スコットの描く小説は空疎な絵空事と捉えられるようになり、リアリズムから立ち上がる骨太な芸術作品を志向するヘミングウェイが次々に発表する作品群が、皮肉にも作家フィッツジェラルドの脅威となっていく。やがて妻ゼルダは精神に異常をきたし、医師(響れおな)に全快の見込みはないと告げられる。スコットはゼルダの治療費と娘スコッティ(菜々野あり)の教育費の為に、意に添まないただロマンチックなだけの恋愛小説を書き飛ばす日々を送らざるを得ず、筆が荒れると共に酒に溺れてゆき……

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小説に限らず、音楽でも美術でも、作品が生まれた時代の評価と、後世の評価が大きく隔たることはしばしばある。特に、スコット・フィッツジェラルドのように作家自身が生きた時代と、その作品とが分かち難く結びついていた作家の場合、時代にもてはやされた分だけ、その終焉と共に作品が不当に低く評価されてしまう面があるのは、避け難い事実だろう。実際、こうして作家スコット・フィッツジェラルド自身を主人公にした本作に接しても、或いはかつて宝塚歌劇団に在籍していた劇作家荻田浩一が創り、月影瞳が一人芝居で演じた、フィッツジェラルドの妻ゼルダを主人公とした舞台『ゼルダ』や、やはり霧矢大夢が一人芝居で演じた同じゼルダを主人公とし、奇しくもゼルダ最後の日を描いているウィリアム・ルース脚本のストレートプレイ『THE LAST FLAPPER』等の作品を観ても、フィッツジェラルドの生み出した小説世界と、彼らの実人生があまりにも近しくオーバーラップすることに改めて驚くほどだ。ましてや所謂バブルが弾け、天国から地獄にも似た激変の中で苦しんだ人々が、狂乱の時代に熱狂した対象にむしろ憎しみの目を向けたとしても不思議ではない。

植田景子の描いたこの作品Musical『THE LAST PARTY〜S.Fitzgerald's last day〜フィッツジェラルド最後の一日─』には、そうしたある時期には時代の徒花と考えられていた作家スコット・フィッツジェラルドへの、深い愛情が満ち溢れている。夢を追い続けた青年の日々。時代の寵児となり巨万の富を得て尚、真の芸術家を志向する姿勢。作家としての名声が凋落しても、身を削って妻や娘を安楽な生活に置こうとする誠実さ。この作品で描かれるスコット・フィッツジェラルドの苦悩と、あくまでも真摯な姿からは、劇作家植田景子が彼に寄せる強い想いが迸るようだ。
とは言え実のところ、この作品が「スコット・フィッツジェラルドの半生を描く芝居」として創られていて、月城かなとがフィッツジェラルドを演じている役者TSUKISHIROだという謂わば大枠の設定、二重構造が果たして必要だっただろうか?という小さな疑問もないではなかった。特にラストシーン近くで「スコットの死をどう表現するかが勝負だ」という趣旨の台詞を月城が言った時、「あ、そういえば役者役だっんだっけ?」に近い、どこかでびっくりしたような気持ちになったほど、あまりにも作品世界にに没頭していただけに、別にストレートに月城かなとがフィッツジェラルドを演じているで良いのではないか?と思いもした。
けれども、スコット、ゼルダ、ヘミングウェイ、更にその時代に生きた人々がその後歩んだ人生を語るだけでなく(人生を語るだけなら、役の本人が語ったとしても成り立つ)、彼らを後世がどう評価しどう感じたか、つまりは現代の劇作家植田景子が彼らを如何に尊敬し愛しているかを、どうしても言葉として残したかった作家の情熱が、この大枠を創らせたのだろうと思えば、その熱もきちんと受け取ろうという気持ちにさせられる。初演から14年の時を経た今の植田景子が、このテーマを一から取り上げたとしたら、或いは別の表現方法を選択したかも知れない。それでも細部には様々に手を入れつつも、敢えて大ナタを振るわなかったことに、1人の劇作家が1人の作家を愛した気概が感じられた。

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その感触を増幅したのが、主演の月城かなとのどこか朴訥な持ち味だろう。初演を担当した大和悠河のアイドル性、大空祐飛の極めつけのスタイリッシュと、現時点の月城との最も大きな違いは、男役としての素朴さだ。そこには計算し尽くさなくても素のままで美しい月城の恵まれた容姿と、その素材にしては比較的抜擢が遅かった人ならではの、促成栽培ではないからこその穏やかさとがあって、その魅力がこの作品のスコットの誠実さに直結する効果を生んでいた。中でも細やかで深い芝居には強く引き込まれ、すでに観ている作品にも関わらず二重構造を一時忘れさせたほどのパワーが秘められていたことに感嘆する。東京での初主演に際して、男役月城かなとが芝居の人であることが改めて再確認できたのも収穫で、更なる期待を抱かせる機会になったのが何よりだった。

ヒロイン・ゼルダの海乃美月はスコットの夢の象徴としての存在感がくっきりと舞台に立ち上るのが、大舞台で重ねた大役経験の蓄積を感じさせる。月城の誠実さに対して、享楽的でエキセントリックな面を端々に漂わせていくのが、後半の展開につながっていて見事。月組期待の娘役として抜擢された当初から、むしろ大人っぽい個性だったことが学年を重ねてしっくりと馴染んできて、逆に可憐さや儚げな雰囲気をもまとってきたのが発見で、この役で更に一皮剥けた印象が強く、作品に相応しいヒロインぶりだった。

アーネスト・ヘミングウェイの暁千星は、役柄自体の出番が1幕の終盤になってからなだけに、「待ってました!」感の強い登場が鮮やか。月城に鼻持ちならない部分がほとんどないだけに、ヘミングウェイの立ち位置はむしろ難しかったと思うが、早期抜擢の急カーブでスター街道を駆け上ってきている暁の持つ、若いけれども十分に場慣れしているという空気感が絶妙に作用して、そんなスコットとの対比がよく出ていた。抜擢に芝居力が追い付いてきたのも頼もしい上に、やはりフィナーレのダンスナンバーは絶品。ポーズしているシルエットだけでゾクゾクさせるのは暁ならでは。非常に考えられた良い配置だった。

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また、一人前の作家を育てて初めて一人前の編集者になれる、という美徳が生きていた時代の編集者マックスを慈愛深く見せた専科から特出の悠真倫。どこかで母親的存在とは言いつつも、スコットの最後の恋人として月城にちゃんと添える娘役魂が光ったシーラの憧花ゆりの。この人がスコットの傍を去らざるを得なくなる状況があまりにも切なかった秘書ローラの夏月都。等、スコットの周りの人物たちの献身をベテラン勢が美しく描き出せば、ゼルダの浮気相手エドゥアールの英かおとが良い意味のアクの強さを、スコットの娘スコッティの菜々野ありが純真さだけでなく少女の敏感さをそれぞれ確かに演じて気を吐いたし、ゼルダの担当医の響れおな、スコットに辛辣な批評家の颯希有翔がポイントの出番で作品の的確なピースになっているのも月組芝居の伝統を感じさせる。とりわけ若手ホープの風間柚乃が、時代に忘れられていたスコットの小説の美点を、そうとは知らずにスコット本人に語る学生として、短いながら極めて重要な場面を少しもあざとくなく際立たせたのは賞賛に値する。ギャツビーの影、失業者などの役どころもそれぞれ陰影深く演じ、踊り、素質の高さをここでも印象づけていた。

総じて、最下級生の蘭世惠翔までそれぞれに大きな役割りがある作品の美点を、出演者全員が体現していたのが素晴らしく、月組の地力を感じさせる公演となっている。

〈公演情報〉
宝塚月組公演
Musical『THE LAST PARTY〜S.Fitzgerald's last day〜フィッツジェラルド最後の一日─』
脚本・演出◇植田景子
出演◇月城かなと ほか月組
●6/30〜7/8◎梅田芸術劇場シアタードラマシティ
〈料金〉全席 6,800円 (全席指定・税込)
〈お問い合わせ〉梅田芸術劇場シアター・ドラマシテイ 06-6377-3888


【取材・文・撮影(1幕)/橘涼香 撮影(2幕)/岩村美佳】






『カリフォルニア物語』
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宙組20周年の祝祭公演で新トップコンビ真風涼帆&星風まどかお披露目! 宝塚歌劇宙組公演『天は赤い河のほとり』『シトラスの風─Sunrise─』

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新宙組トップコンビ真風涼帆と星風まどかのお披露目公演であるミュージカル・オリエント『天は赤い河のほとり』、ロマンチックレビュー『シトラスの風─Sunrise─』〜Special Version for 20th Anniversary〜 が東京宝塚劇場で上演中だ(17日まで)。

ミュージカル・オリエント『天は赤い河のほとり』は、小学館発行の「少女コミック」で1995年〜2002年まで連載され、絶大な人気を誇った篠原千絵の大河少女漫画を、宝塚ミュージカル化した作品。紀元前14世紀古代オリエントのヒッタイト帝国を舞台に、帝国の跡継ぎと目される皇子と、現代日本からタイムスリップした女子高校生との、次元を超えた運命の恋と帝国の怒涛の歴史が描かれている。

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【STORY】
紀元前14世紀、古代オリエント。黒海へと流れ込む赤い河マラシャンティに抱かれたヒッタイト帝国の首都ハトゥサは、皇帝シュッピルリウマ1世(寿つかさ)の治世のもと、繁栄の時を迎えていた。そんなヒッタイトで血筋、知性共に次代の皇帝に相応しいと衆目が認める第三皇子カイル(真風涼帆)は、暁の明星の輝く明け方、王宮の泉から忽然と現れた自分たちとは全く異なる装束の少女鈴木夕梨(ユーリ・星風まどか)に出会う。皇妃ナキア(純矢ちとせ)の手勢に追われていたユーリを行きがかりから助けたカイルは、ユーリが遥か未来の日本から、自分を亡き者とする為の形代として、ナキアの呪術でヒッタイトにタイムスリップさせられた少女だと知る。ナキアは自らの子を帝位につける為、他の皇子たちの命を狙っていたのだ。ユーリがナキアの手に落ちることは互いの命を危うくすることだ、と咄嗟に判断したカイルは、ユーリを一目で気に入り側室にすることにしたと宣言。ユーリにナキア同様水を操る神官である自分が、再び泉に水が満ちる一年後、必ず元の世界に戻してやると約束。カイルの言葉を信じる以外に寄る辺のないユーリは彼と行動を共にし、黒太子マッティワザ(愛月ひかる)率いる東の強国ミタンニとヒッタイトとの戦いを目の当たりにする。それは現代日本で、戦争を知らずに育ったユーリが想像もできなかった壮絶な光景だったが、だからこそ、自分が国を治めるようになった暁には、戦いのない国を創りたいと願うカイルの信念に共感を覚え現代人の感覚で行動。いつしか人々はユーリを「戦いの女神イシュタル」と崇めるようになり、そんなユーリを傍近くで見守っているカイルもまた、ユーリを正妃とし共に平和な国を築く力になって欲しいと願い、ユーリもカイルの高潔な精神に惹かれていく。
だが、ますます人望を集めるカイルとユーリを一気に失脚させる為、ナキアの仕掛けた大胆な罠に足元をすくわれ、カイルとユーリは皇帝暗殺の嫌疑をかけられてしまう。間一髪、異母弟ザナンザ(桜木みなと)に託してユーリを逃がしたカイルは、自らも逃げることはヒッタイトがナキアの意のままになることだと、敢えてその場に留まり捕縛される。一方なんとか逃げ延びたと思ったのも束の間、ナキアに忠誠と愛を誓う神官ウルヒ(星条海斗)の呪術により洗脳されていた部下の反乱にあい、命賭けでユーリを守ったザナンザは落命。1人残ったユーリも瀕死の重傷を負い力尽きて倒れる。だが、そんなユーリを救ったのは「戦いの女神イシュタル」にひとかたならぬ関心を寄せていた、大国エジプトの知将ラムセス(芹香斗亜)で……。

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実は2018年の現代から決して遠くない時代まで、女性の生き方には大きな制約があった(と、過去形にして良いのかさえ戸惑うぐらいに)。幼い時は親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う「三従」を、女性は当然の如く強いられ、一生の間、全世界(三界)のどこにも安住の場所がない=「女三界に家なし」という言葉があるくらいだ。そうした時代、更に表向きはともかくも、そうした価値観が心の中には根強く残っている時代に、少女漫画やハーレクインロマンスといった、女性に向けた夢を描く作品群の中で大きな人気を集めたのが「ヒロインが浚われる」という設定だった。例えば砂漠のシークに、また例えば遠い異国の王族に見初められた女性が、強引に現実世界から連れ去られ、逃れられない状況の中でほとんどすべての登場人物に愛され、全く新たな人生の幸福を見出すに至る。この種の物語は膨大な数創り出されていて、どの作品が何を模倣したというような話に納まるものではなく、もう完全に王道パターンとして定着している。その中で最も肝心なポイントは、ヒロインが家や家族への奉仕であったり、家業の労働力としての役割りであったりといった、自分が本来背負わなければならないものを自ら捨て去ったのではない、という点だ。ヒロインは、ただ愛されたが故に現実世界から引き離された、あくまでも被害者であって、そこに自己責任は何もない。と、書いていても切なくなるほど、こうした究極のファンタジーに仮託して、せめて夢を見ることしかできなかったほど、女性がその人生で選べる選択肢はあまりにも少なかったのだ。
20世紀の1995年から足かけ7年、コミックスにして28巻という長大な物語が描かれた少女漫画「天は赤い河のほとり」にも、この王道のパターンは貫かれている。ヒロインは現代の日本から、タイムスリップによって古代ヒッタイトに飛ばされる。想像しようとしてもしきれないほど、それは確かに訳のわからない状況だろう。そこで美丈夫の異国の皇子から「必ず元の世界に帰してやる」と言われれば、それにすがるしかない。守られていれば愛しさも生まれる。ましてヒロインには古代の人たちが誰も知らない現代の知識がある。その知識から「闘いの女神」と崇められ、魅力的な登場人物ほとんどすべてから愛されても全く不思議ではない。原作の篠原千絵が、こうした王道パターンを踏襲しながら、如何に波乱万丈の物語を創り出し、ヒロインとヒーローの恋と成長を描いていったか、その力量がよくわかる。
そんな作品を宝塚で取り上げるにあたり、脚本・演出を担当した小柳奈穂子が、全28巻を95分間の舞台にまとめようという大冒険に出たのには、正直かなり驚かされた。もちろん小柳は同じ大人気少女漫画「はいからさんが通る」の舞台化にあたっても、物語全編を舞台で描くことに成功しているが、両者には原作作品の長さと舞台の持ち時間に開きがある。更に、例えば帝国劇場で上演された『王家の紋章』も長大な原作から使われたのは極一部だったし、つい先日まで宝塚で大好評を博した『ポーの一族』も、連作短編の原作からポイントを絞った部分が抽出されていたことを考えても、これは大きな賭けだったと思う。

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だが、この作品が宙組新トップコンビ真風涼帆と星風まどかのお披露目公演であることから、二人がヒッタイト帝国の皇帝と皇后に即位するラストシーンが、物語の終幕に相応しいと決意したという小柳は、ヒーロー・カイルの従者キックリ(凛城きら)を語り部に、原作世界と古代史に照らして物語を猛スピードで展開し、怒涛のミュージカルを仕立てた。その構想は一方では成功していて、原作世界のキャラクターたちが次々と登場して居並ぶ冒頭は、作曲にゲーム音楽を多く世に出している下村陽子を起用したことと、宙組スターたちの見事なビジュアル再現率も相まって、さながらゲーム作品の舞台化のようなワクワク感がある。新トップコンビの二人が人々に、つまりは組のメンバーたちに見守られて即位する大団円も、如何にもお披露目に相応しい華やぎにあふれるものとなった。さすがに展開が早すぎて敵味方の関係がよくわからない部分もあるものの、美しい絵姿にトップコンビが納まるのを見れば、奇しくも生誕20周年を迎えた宙組の、ここからはじまる新しい歴史に期待する気持ちも膨らむ。
ただその一方で、このラストシーンに至る為、28巻もの原作世界を95分にまとめようとした時に、最もフォーカスすべきはカイルとユーリが互いに結ぶ愛と信頼ではなかったか?という想いにも、拭い去り難いものがある。というのもこの95分間で行動原理の背景や心境が最も色濃く描かれているのは、カイルとユーリを陥れようとするヒッタイトの皇后ナキアと、ヒッタイトと覇権争いを繰り広げる大国エジプトのネフェルティティ王太后(澄輝さやと)なのだ。
彼女たちが何故権力に固執し、非道な行動を辞さないのか?は、それぞれの若き頃の回想シーンまで用意された周到さで劇中で説明されていて、あくまでもカイルとユーリの側から見れば敵である彼女たちも、己の信念を貫き懸命に生きている女性だということがよく伝わる。ナキアを演じている純矢ちとせの、相変わらず舌を巻くばかりの上手さと、男役が女性役に回ったからこその存在感と、クールビューティーぶりが光るネフェルティティの澄輝さやとが共に素晴らしいだけに、劇中に彼女たちが占める割合いが殊更に大きく見え、全体のバランスをきしませている(もちろん好演している彼女たちの咎ではない)。何よりヒロインのユーリが突然日本からヒッタイトに飛ばされた混乱が、ほとんど感じられないのがどうしても辛い。何はなくともこの混乱がないと、ユーリが唯一の希望であるカイルに惹かれていく過程が見えにくいし、劇中にユーリが現代人ならではの発想をするシーンも薄い為に、彼女が「戦いの女神イシュタル」と崇められ、カイルや他の登場人物たち、端的に言えば良い男軍団が揃ってユーリを愛する理由もわかりにくくなってしまう。それはつまり、この長く愛されてきた原作世界が描き切った王道パターンの、要の部分が弱いということにつながるだけに、非常に惜しまれる点だった。
もちろん女性の自己実現の手段が広がった時代に生きているだけでなく、劇作家、演出家を志し、その目指した道で着実に功成り名を遂げている小柳が、自己責任のないユーリではなく、生き残る為に手を汚しても突き進むナキアやネフェルティティによりシンパシーを感じたのも無理はないと思う。二人をきちんと描いたからこそ、心に残る台詞も多かった。だが、この作品が新トップコンビのお披露目公演であること。更に原作漫画「天は赤い河のほとり」が、長い間受け継がれてきた女性の切ない夢を描いたものだということ。この二つはやはり何をおいても大切にして欲しかった。原作の補完知識がない状態で観劇すると、華妃まいあと夢白あや、宙組期待の若手娘役たちが演じている若き日のナキアとネフェルティティの登場場面が、それぞれの回想シーンだとは理解できないのではないか?という演出上の危惧も含めて、小柳には改めて自作を見つめて欲しいと願う。

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その中でカイルを演じた真風涼帆の泰然自若な持ち味が、カイルをヒーローとして作品に立たせる力になったことは見逃せない。元々若手の頃から大きな芸風に魅力のあった人だが、いよいよ大舞台のセンターを任せられた時、その存在が役柄をより引き立てて、劇中ではほとんど説明が省かれている、何故第三皇子が世継ぎとして人々に認知されているのか?に、ほとんど疑問を抱かせないのはあっぱれ。平和な世を求める若き皇族として、古代オリエントの希望を双肩に担うに相応しい舞台ぶりでトップスターとしてのデビューを飾った。
対するヒロイン・ユーリの星風まどかは、組配属の前から宙組での抜擢に次ぐ抜擢で、トップ娘役に駆け上ったシンデレラガール。その勢いがユーリの元気溌剌な面を強調していて微笑ましい。前述したように役柄自体の書き込みに浅い面があり、それを現時点の星風に埋めろというのはあまりにも酷だから、現代の少女が古代に飛び込んでも前向きに生きるという役柄に、星風の個性がピッタリとハマったことを喜びたい。王宮の宴でカイルの妃として披露される、やはりこうした王道物語の大定番「磨けば光る私」のシーンが、後もののレビューも含めて最も美しかったのも、理に適っていた。
エジプトの知将ラムセスの芹香斗亜は、これが宙組本公演デビュー。清廉な皇子の部分が強調されている宝塚版のカイルに対して、ある意味「チャラい」雰囲気を持ってラムセスを見せているのは、ヒーローに相対する二番手として非常に優れた判断で、経験値の高さを感じさせた。新宙組にとって強力な戦力の加入で、新天地での更なる活躍に期待を抱かせた。

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芹香の同期生でもある愛月ひかるは黒大使マッティワザに扮し、抜群のプロポーションとキャラクター再現率で魅了する。出番があまりにも飛んでいて、一応台詞説明はあるものの、カイルの宿敵からいつの間に味方に?と混乱した向きも多かったと思うが、それは少ない出番の中で客席にそれだけの印象を愛月が残している証でもあり、スター力を見せつけた。20周年を迎えた宙組の生え抜き男役として、今後も大切にして欲しい存在だ。
同じく同期生で弓兵隊長ルサファの蒼羽りくは、カイルの側近たちの中でも更に骨太な存在として目を引き、やはり一日の長を感じさせる。カイルの異母弟ザナンザの桜木みなとは、ヒーローの弟らしい華やかな甘さの中に、力強さを秘めてきて、落命するシーンに特段の迫力があった。カッシュの和希そらのシャープな動きは、全体の中から抜きん出るパワーを持っている。ミッタンナムアの留依蒔世、シュバスの瑠風輝はその設定故に印象的なのは間違いないながら、宙組のホープだけに出番の短さにつながるのがもったいない。その中で、カイルの身代わりとなる従者ティトの愛海ひかるが、非常に大きな役で抜擢に答え爽やかな印象を残している。その姉のハディにこちらも宙組デビューの天彩峰里が扮し、男勝りな雰囲気が良く似合った。リュイの水音志保、シャラの花宮沙羅のシンクロした動きも実に可愛らしい。ネフェルトの遥羽ららにはもう少し大きな役が欲しいが、その中でも遥羽がここにいます!をきちんと示せる力をつけてきたことを感じさせている。
他に、皇帝の寿つかさ、ハトホルの美風舞良がそれぞれの存在感で作品を支えているのはもちろん、怒涛のドラマの語り部として極めて重要な役割を担ったキックリの凛城きらをはじめ、トトメスの松風輝、タロスの風馬翔、イル・バーニの美月悠の存在感が、組長たちに追いついているのがなんとも頼もしい。加えて星吹彩翔も実力者だから、役柄を是非考慮して欲しい。
そんな中で、ナキアを愛し忠誠を誓う神官ウルヒに専科から星条海斗が登場したことが、更にナキアの物語の切なさを深めていて、どちらかと言えばフルパワーで押してくる印象が強かった星条が、ここまで抑えた耐える演技で魅了することに感嘆した。本当に頼もしく成長してくれた時に、退団という道を選ぶのは宝塚の宿命とは言え惜しみても余りあるが、金色の長髪がよく似合い、レビューの大活躍も含めて見事な花道となった。
総じて長大な原作だけに役柄が多く、宙組のメンバーが様々に活躍できたことは大きな利点で、ここからはじまる真風の時代への期待を強く感じることができたのは幸いだった。 

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そのここからはじまる真風の時代と、宙組創立20周年の歴史を見事につないだのが、ロマンチック・レビュー『シトラスの風─Sunrise─』〜Special Version for 20th Anniversary〜 で、レビュー作家の重鎮、岡田敬二が長く取り組んできた「ロマンチック・レビューシリーズ」の記念すべき20作品目という、大きな祝祭が幾重にも重なるものとなった。宙組創立を飾ったレビュー『シトラスの風』の再演場面に、新場面も加えた文字通りの宙組 20th Anniversaryが展開されていく。
『シトラスの風』はこれまで全国ツアー等でも何度か再演されているが、やはり岡田レビューの真骨頂は大階段があり、人海戦術が展開できる大劇場でこそ、その真価が発揮される。美しい色合いがあふれ出るオープニングから舞台はロマンチック・レビューの美の世界一色。「ステート・フェアー」の明るさ、伸びやかさが新コンビを彩る様も美しく、宙組20年の生き証人寿つかさが往年のダンスの名手「Mr Bojangles」に扮した新場面も胸を打つ。分けてもやはり、これぞ宙組!、宙組の代名詞ともなった「明日へのエナジー」の輝きが、20年の時を経て全く衰えを知らないのは大きな喜びで、この節目の年に真風涼帆を中心とした新たな「明日へのエナジー」が観られたことは、ここからの宙組の何よりの礎となるに違いない。

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その「明日へのエナジー」の力があまりに大きく、すべてを越えてクライマックスに昇華してしまうだけに、全体のバランス的な座りが揺らぐ部分はあるものの、それほどの場面がタイトルそのままに、宙組の明日へのエナジーとなることを感じさせる仕上がりを寿ぎたいレビューだった。

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また、初日を前に通し舞台稽古が行われ、新トップコンビ真風涼帆と星風まどかが囲み取材に応えて公演への抱負を語った。

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中で公演の見どころを問われ、真風が『天は赤い河のほとり』が、プロローグから自分もドキドキするような仕上がりになり、レビューは宙組誕生20周年の組の歴史を感じながら、新しい、このメンバーにしか出来ない『シトラスの風』を作りたいと意欲的に語った。

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また星風は、人気少女漫画の舞台化で、 原作ファンの皆様、宝塚ファンの皆様共に喜んで頂ける舞台になっているのではないか。また宙組で何度も再演されているレビュー『シトラスの風』に、自分自身も出演できることの幸福を述べた。

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更に真風が、宙組に組み替えしたのが、奇しくも東京公演の初日と同じ2015年5月11日で、丸三年が経ったという逸話を披露。新たに宙組を率いる縁と気概を感じさせる時間となっていた。

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尚、囲み取材の詳細は、舞台写真の別カットと共に7月9日発売のえんぶ8月号にも掲載致します。どうぞお楽しみに!

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〈公演情報〉
宝塚宙組公演
ミュージカル・オリエント『天は赤い河のほとり』
原作◇篠原千絵「天は赤い河のほとり」
脚本・演出◇小柳奈穂子
ロマンチックレビュー『シトラスの風─Sunrise─』〜Special Version for 20th Anniversary〜 
作・演出◇岡田敬二
出演◇真風涼帆、星風まどか ほか宙組
●5/11〜6/17◎東京宝塚劇場
〈料金〉SS席 12,000円 S席 8,800円 A席 5,500円 B席 3,500円 (全席指定・税込)
〈お問い合わせ〉東京宝塚劇場 03-5251-2001

http://kageki.hankyu.co.jp/




【取材・文/橘涼香 撮影/岩村美佳】  




『大人のけんかが終わるまで』
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極めて異色な二本立ての登場 宝塚歌劇月組公演『カンパニー』─努力、情熱、そして仲間たち─『BADDY』─悪党は月からやってくる─

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珠城りょう&愛希れいか率いる宝塚月組が、宝塚歌劇としては極めて異色で、実験的な二本立てに取り組んだ宝塚歌劇月組公演、ミュージカル・プレイ『カンパニー』─努力(レッスン)、情熱(パッション)、そして仲間たち(カンパニー)、ショー・テント・タカラヅカ─『BADDY』─悪党(ヤツ)は月からやってくる─が、日比谷の東京宝塚劇場で上演中だ(5月6日まで)。

ミュージカル・プレイ『カンパニー』─努力(レッスン)、情熱(パッション)、そして仲間たち(カンパニー)は、伊吹有喜の小説『カンパニー』を原作に、石田昌也が脚本・演出を担当したオリジナル作品。合併騒ぎに揺れる製薬会社のサラリーマンが、社が協賛公演を行う全く畑違いのバレエ団に出向を命じられ、協賛公演を成功させる為に奮闘するうちに、自らも仲間を得て成長していく、現代日本を舞台にした宝塚歌劇としては非常に珍しい設定の作品となっている。

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【STORY】
現代の東京。有明製薬のサラリーマン青柳誠二(珠城りょう)は、病で妻に先立たれて以来、その運命を受け入れることができず、無為の日々を過ごしていた。そんなある日、有明製薬がヘルシーフーズと合併するという青天の霹靂の事態が起こり、社員は合併によるリストラや配置転換を予想して浮足立つ。そんな中、有明製薬の広告塔としてオリンピックを目指していたマラソンランナー鈴木舞(美園さくら)が、妊娠していることが発覚。引退して母になることを選択した舞の行動に、社のナンバー2脇坂専務(光月るう)は激怒。舞の専属トレーナー瀬川結衣(海乃美月)にも解雇を言い渡す。いきなりのクビ宣告に呆然とする結衣の処遇をなんとかとりなそうと、青柳は脇坂専務に掛け合いに行くが、自らも専務の逆鱗に触れ、有明製薬が協賛公演を行っている敷島バレエ団のプロデューサーという名目で、結衣もろとも出向させられてしまう。
その頃敷島バレエ団では、有明製薬のイメージ・キャラクターを務めている、敷島バレエ団出身で現在は世界的プリンシパルとして活躍中の高野悠(美弥るりか)を欧州から帰国させ、バレエ団のプリマバレリーナである有明製薬社長令嬢の有明紗良(早乙女わかば)のオデット姫と悠の王子で、合併後の新会社「有明フーズ&ファーマシー」発足記念公演「白鳥の湖」を上演する準備が進んでおり、紗良はこの公演を自身の引退公演にしようと考えていた。だが打ち合わせの時間になっても肝心の悠が現れない。そんな悠をホテルに出迎えにいった青柳は、ストーカーまがいのファンに手を焼いていた悠が、実は長年バレエダンサーとして酷使してきた身体に、数々の故障を抱えていることを知る。全幕を通じて踊らなければならない王子役を務めることは、できなくはないものの、本意ではない踊りを観客に見せたくはない。と語った悠は、敷島バレエ団代表である敷島瑞穂(京三紗)が、かつて同じようにバレエダンサーとして限界を感じていた夫の為に創った、悪魔ロット・バルトに焦点を当てた「新解釈・白鳥の湖」でロット・バルトを踊りたいと申し出る。
だが、社が公演に協賛するのは、イメージ・キャラクターの悠が主役を踊ることが大前提になっていて、それでは了解が得られないと訴える青柳に、悠は「それを説得してこそバレエ団のプロデューサーだ。君はもうイエスマンのサラリーマンではない」と諭す。一念発起した青柳は社長の有明清治郎(綾月せり)に直談判。なんとか了承を取り付けると、バレエ団の団員高崎美波(愛希れいか)の協力を得て、バレエの猛勉強をはじめる。そこで知ったのは、日本のバレエ団の置かれている厳しい現実だった。かつてバレエ留学もし、プリマの紗良のアンダースタディ—も務める美波でさえも、バレエを踊ることで収入を得ることはできず、コンビニでのアルバイトで生計を立てていた。そんな美波に青柳は亡き妻の面影を重ね、美波もまたコンビニの客として以前から見知っていた青柳に、恋心を抱くようになる。
そうして、悠の身体のメンテナンスを任せて欲しいという結衣の申し出こそ聞き入れられないものの、すべては少しずつ明るい方に前進しているかに見えた。だが、悠と踊って引退しようと考えていた紗良が「新解釈・白鳥の湖」の王子役に「有明フーズ&ファーマシー」のCMソングを担当するヴォーカル&ダンスユニット「バーバリアン」のボーカル・水上那由多(月城かなと)を指名したことから、事態は急展開。「新解釈・白鳥の湖」はコンテンポラリー寄りの振付で、かつて4年間バレエを習った経験があり、筋も良い那由多なら王子役が務められる上、話題性も十分と考えた青柳だが、バレエ団の上層部の意見にどうしても納得がいかない悠が、公演を降りると宣言してウィーンに帰国してしまい……

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宝塚歌劇団にとって「現代もの」が最大の冒険だった時代はそう遠いことではない。女性だけで究極の非現実の世界を創り上げる宝塚歌劇の世界は、男装の麗人があくまでも現実にはいない、理想の男性像を演じることを骨子としている存在だから、そこに現実感を双肩に担った普通の男性が登場することに、ほとんどメリットがなかったからだ。だが、近年では、所謂イケメン俳優がアニメや、漫画の世界を具現化する「2.5次元」と呼ばれる舞台が一大勢力となった時代の流れも手伝って、宝塚歌劇団の男役と現実の綺麗な男の子たちとの差異が急速に縮まってきている。その為、かつては宝塚の世界に入ってきただけで、その浮きっぷりにとまどった現代のツール=スマートフォンや、パソコンの類を、男役が舞台上で操ることにも違和感がなくなっているのに驚かされることもしばしばだ。現実に「平凡な普通のサラリーマン」が主人公だった『Shall we ダンス?』もすでに宝塚の舞台に登場している。
ただ、そうした現代のツールを持ち込んだ舞台も、これまでの宝塚歌劇作品では必ず、海外を舞台にして登場人物を外国人に設定するという、現実ではありつつも隣のお兄さんではない、ひとつのフィクションのとしてのフィルターをかけることを常にしてきている。それは前述した、周防正行監督の同名映画『Shall we ダンス?』の舞台化の折にも踏襲された戦略で、平凡なサラリーマンだけれども、骨格も容貌も異なる外国人。現実だけれどちょっと非現実、という宝塚得意の世界に寄せる作業はなされていた。
そこからすると、今回の『カンパニー』─努力(レッスン)、情熱(パッション)、そして仲間たち(カンパニー)のド直球ぶりには、改めて驚かされるものがあった。もちろん原作の『カンパニー』の主人公青柳誠一は、会社ではリストラ要員で、家では妻に先立たれたのではなく妻に離婚を迫られている、家庭も仕事も崖っぷちの人物で、そう比較すれば、気は優しくて力持ち、誠実を絵に描いたようなこの舞台の主人公・青柳誠二は(微妙に名前も変えている)、かなりカッコよい人物に描かれているし、その改変は至極妥当なところだろう。宝塚で「できちゃった婚」だの「コンビニ弁当廃棄問題」だの「合併によるリストラ、配置転換」だの、という話を聞くことがあるとは、正直これまであまり予想してはいなかったが、104年の歴史の中で常に宝塚はなんらかの形で「はじめて」を繰り返してきたのだと思えば、これも新しい何かにつながるひとつなのかも知れないとも思う。

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ただ、この作品を舞台芸術=バレエの側から見た時に、常に高野悠が言っていることが正論で、主人公たる青柳をはじめ、プリマの紗良、団長の敷島、宇月颯演じるバーバリアンのリーダー阿久津仁、ヴォーカルの那由多、等々が無理難題を言い連ねているように見えることは、トップスターを頂点とする宝塚歌劇のセオリーとして良いのだろうか?と、居心地の悪さをどうしても覚えてしまう。その座りの悪さがどこからくるのかと言えば、コンテンポラリー寄りの振付や、新解釈との理由をつけてはいるものの、やはり「バレエ団」の公演、しかもプリマバレリーナの引退公演で、世界的プリンシパルを相手役に招聘したほど大がかりな公演に、バレエ歴4年のアイドル歌手が全幕王子役を踊る、という設定そのものだと思えてならない。
たぶんこれが「ミュージカル劇団」が舞台なら通ったと思う。現実にテレビで人気のアイドル歌手が次々に舞台で重要な役柄を務めるのは、日本では非常によくあることだし、それこそ舞台を日本に設定する大きな理由にもなっただろう。ただやはりクラシックバレエ団でとなると、途端に厳しさを孕んでくる。特に、新解釈と何度も解説をしていながら、肝心のバレエ公演のシーンの衣装が極めて一般的な「白鳥の湖」のイメージを踏襲している為に、この違和感が強まったのは否めなかった。いっそ那由多の衣装をそれこそ宝塚ならではの、男役の王子様スタイルにもってきてしまっていれば、ずいぶん印象も違ってきたと思うだけに、もったいなさを感じる。
もちろん、これらは原作小説「カンパニー」に提示されている設定で、宝塚の舞台もその展開に添っているのに違いない。実際全体がサラリーマン夢物語と言っても良い、一種のお仕事ファンタジー小説である原作世界では、これらはそこまで大きな引っかかりには感じられない。バレエという芸術が、ファンタジーのある意味道具として機能していてもカタルシスは得られる。けれども宝塚歌劇はそれ自体が舞台芸術だから、同じ舞台芸術に敬意や愛が感じられないと、観ている側が苦しくなる。バーバリアンの阿久津の発言はほぼ論外としても、悠がバーバリアンのメンバーに「君たちの活動を馬鹿にしているんじゃない。ただ俺が命を賭けた世界に足を踏み入れて欲しくないだけだ」という台詞があまりにもまっとう過ぎて、孤高のバレエダンサーのワガママには到底見えない。見えないから、公演を成功させたい一心で悠を説得に行く青柳の行為の方が、下手をすると打算的に映ってしまい、観ている側の苦しさが更に強くなっていく。スターに舞台への愛や理解のない台詞を言って欲しくない。それほど宝塚は、舞台も客席も等しく愛が循環している世界なのだと、スタッフ諸氏には是非わかってもらいたいと願う。

そんな中で青柳誠二を演じた珠城りょうが、その持ち味と存在感ひとつで、役柄を支えた様にはただ頭が下がる。あまりにも美丈夫で、冒頭から無気力に生きているようにこそ見えないが、とにかく朴訥で誠実で実直で一生懸命で、この男性に心を寄せるヒロインの美波の気持ちが理屈抜きによくわかる。この設定のこの役柄で、トップスターとしての矜持を維持した珠城は只者ではない。これもかなり珍しいことだと思うが、劇中で主題歌「カンパニー」ただ1曲しか歌っていない中で、語りに近い冒頭、メロディー、サビと、歌い方を巧みに変える歌唱力も立派で、トップスターとしての力量を改めて感じさせていた。

ヒロインの高崎美波の愛希れいかも、物語展開だけを観ていると、トレーナーの瀬川結衣、プリマの有明紗良と、誰がヒロインになってもおかしくない流れの中で、しっかりと美波こそがヒロインだと提示できたのは、愛希本人のトップ娘役としての経験あったればこそ。青柳への恋心もいじらしく、バレエシーンも盤石で、バレエ団のリアルを懸命に支えていた。

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高野悠の美弥るりかは、この公演で新たに美弥の熱烈なファンになった人がどれくらいいることか…と思えるほど、役柄を活かした惚れ惚れとするプリンシパルぶり。バレエに誇りを持ち、プライドもありつつ、青柳へ、紗良へ、結衣へ、那由多へ、関わる人々にかける言葉のひとつひとつに重みがあり、他者を認める度量もある。バレエシーンも、一瞬1本立ての「フィナーレの歌手」を連想した銀橋のソロも華やかにこなし、この公演はほぼ美弥オンステージ。つくづくと、この人の貴重さを再認識できる舞台になっているのが、この作品の示した最大の利点だったと言えるだろう。

それに続いたのが有明紗良の早乙女わかばで、後援会社の社長令嬢である限り、プリマとして舞台に立っていることを色眼鏡で見られるのは覚悟の上と言い切り、悠への直截なプロポーズ?も、美波の恋を見破る言葉もサバサバと気持ちが良い。悠と踊ることができないなら、と、冒険に出たものの、プリマとして当然の踊りに難癖をつけられたことから起きたアクシデントにさえ、自分に非があると認め美波の背中を押す。この公演で退団の早乙女にとっては最高の花道で、裏表が少しも感じられない伸びやかな美しさが魅力の早乙女の、集大成に相応しい役柄になったのが何よりだった。

一方、バーバリアンのボーカル水上那由多の月城かなとは、非常に難しい役柄だが、この人も本人にどこか朴訥な香りがあるのがキャラクターを助けていて、天然な考え方をするだけで、鼻持ちならないアイドルには見えなかったのが良い効果を生んでいる。その那由多をプロデュースする立場でもある、リーダーの阿久津仁の宇月颯は、自身がとびっきり優れたダンサーでもある宇月が、この役柄の物言いを自分の中に落とし込むのは容易ではなかったのではないか?と推察される中、尚きちんと無神経な上に筋違いな人物を無頼に演じているのが、退団公演なだけに涙を禁じえない。いっそ悪役ならまだ演じやすかったと思うが、それでも阿久津が自分の非を認め、堂々と謝るその頭の下げ方に、重心を落とした印象的な工夫があり、舞台のどこにいても真摯だったこの人の美点が浮かび上がっていた。そのバーバリアンには月組期待の若手が多く入っていて目に楽しいし、やはり退団の貴澄隼人がアクシデントのショックで動けない那由多に代わってソロを取り、美声を聞かせたのも良い配慮だった。

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他にバレエ団の若手ダンサー長谷山蒼太の暁千星は、劇中のバレエシーンで一番踊っているのは彼女だと思うが、改めて踊る暁の素晴らしさを認識させているし、トレーナーの瀬川結衣も、ほとんどのシーンでジャージ姿という宝塚の娘役としては相当異例な状況でも、猪突猛進の賢明さを健気に見せていて地力を感じさせる。社長の有明清治郎の綾月せりが、青柳の無気力を心にかけている辺りは、本来大きな企業としてはあり得ないことだが、そんなファンタジーは「カンパニー」としての宝塚に打ってつけで、やはり退団の綾月の優しさのある持ち味が良く出ている。紫門ゆりや、輝月ゆうま以下会社側、京三紗、憧花ゆりの以下バレエ団側、双方に一言の台詞や場面でも、凝った芝居をする面々が数多く観られるのは、さすがに月組の伝統を感じさせて、所謂小芝居を観る楽しみも大きい。
何よりも、芝居そのものの設定以上に、心と心をつなぐ仲間、カンパニーの素晴らしさ=宝塚の素晴らしさを感じさせる団結力が舞台に漲るのは、宝塚歌劇の美点そのもの。バレエシーンも美しく、舞台にいる真摯で真っ直ぐな1人1人に愛おしさを感じる舞台だった。

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そんな異色作品の後だからこそオーソドックスなショーであれば、ずいぶん全体の印象も異なったと思うが、更に攻めに出たショー・テント・タカラヅカ─『BADDY』─悪党(ヤツ)は月からやってくる─が控えたことが、この月組公演の先鋭的なムードを決定づけている。宝塚104年の歴史で初めての女性演出家のショー作品で、更に担当が上田久美子となれば、オーソドックスなものがくるはずはないのは十分に予想できたが、これがまたとびっきりとんがった作風になっている。

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TAKARAZUKA-CITYを首都とするピースプラネット地球では、飲酒、喫煙、戦争、犯罪、すべてのワルイことが駆逐され、国民は天国に入ることを目指して善き人生を歩んでいる。その秩序を守っているのは女捜査官グッディ(愛希れいか)。今日も地球はこともなし…のはずだったが、月からポンコツロケットが着陸し、降り立ったのはバッディ(珠城りょう)。地球にいられなくなったワルイ人間の巣窟である月の中の、悪党中の悪党バッディとその一味は、早速喫煙をはじめ地球の秩序を乱す。そうはさせじとバッディを追うグッディ、二人の戦いが今はじまった!
という、全体に貫かれたSTORYに基づき、登場人物はほぼ通し役。それでいて、プロローグ、中詰め、ラインダンス、デュエットダンス、パレードというセオリーはきちんと組み入れている手腕は買うし、特にバッディによって「怒り」という感情を知ったグッデイを中心に繰り広げられるラインダンスは非常に面白い。ピースプラネットの首都がTAKARAZUKA-CITYであることも、ワルイことの象徴を敢えて喫煙に持ってきていることも、上田が言わんとしているのだろう「窮屈な時代への抵抗」を、ある意味暗喩が透けて見えやすいように、敢えてしていることもよくわかる。芝居でも感じたことだが、宝塚104年の歴史は、こういうとんがった作品が批判を浴びることもありながらも、そのパワーで築き上げてきたものだし、ショーにテーマ性をもたせるのも時にはあっても良いと思う。
ただ、非常に気になるのが、このショーの世界観、設定、展開を上田がすべて台詞説明に頼っていることだ。最初から最後まで、登場人物たちは言葉で状況や心境を語っていて、そうなると、この世界観を上田がショー作品で表現しようとした意図が曖昧になってしまう。特に宝塚歌劇の場合、芝居とショーの二本立てを基本としているから、ショーにストーリー性があっても良いが、それが「ダンスがたくさん入るだけの芝居」に近いものとなると、興行の構成上効果的でなくなるという問題もある。宝塚に傑作ショーの金字塔として輝く『ノバ・ボサ・ノバ』も、ストーリーがあり大方が通し役だが、台詞はほぼなく、それでいて誰にでも設定も話の流れもテーマも伝わる。実際上田自身が、今回のショーの中でバッディの一味クールの宇月颯と、ピースプラネットの王女早乙女わかばとの出会いから、互いが惹かれていく過程、けれとも決して相いれない二人の立場、というサブストーリーを、全く台詞もなく、メインの場面でさえない中できちんと提示している。しかもおそらく宝塚ファンで、このサブストーリーを見逃している人は、ほとんどいないと思う。退団の二人に、こうしたあくまでもサブストーリーを用意して、気づく人だけ気づいてください、と観客を信じることができた上田なのだから、せっかくショー作家としてデビューする機会に、もっと観客の理解を信じても良かったのではないだろうか。基本的には文学の人である上田が今後もショー作品に挑むのだとしたら、その辺りを是非考慮して欲しい。
そんな作品の中で、バッディの珠城が悪党というよりは、ちょっと強面の警察幹部に見えたのは、珠城の珠城たるゆえん。彼女の公明正大な魅力が更にハッキリと表れて、これは良かったと思う。グッディの愛希は、初登場から刻々と変化していく役柄に加え、怒りのダンスの身体表現が見事で目を奪われる。互いが命を賭けた大階段のデュエットダンスというのも、記憶にない斬新さだった。

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斬新と言えば、スイートハートの美弥るりかの設定も、二番手男役としては相当に斬新だが、本当に何をやらせても上手い上に、ミステリアスな魅力を放つのが素晴らしい。月城かなとの終幕の驚きにも、本人の個性が生きている。
ただ、何しろほとんどのメンバーが通し役なので、退団者だけで銀橋を渡るなどの場面がなかったのは残念だったが、前述のデュエットダンスでの宇月のカゲソロの絶唱は忘れ難い。『アルジェの男』の終幕のカゲソロで、すでに当時から定評があったダンス力だけでなく、歌唱力も印象づけた宇月の、宝塚での「歌手」としての記録がカゲソロで終わるのも何かのはからいのようだが、遅咲きの実力派が花開いたところで去ってしまうのは、惜しみてもあまりある。  

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両作品を通して、宝塚らしさとは?という問題とは、別の部分で考慮すべき点のある作品ではあったが、それだけに月組全員の果敢なチャレンジが、深く記憶に残る公演となっている。

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また初日を前に通し舞台稽古が行われ、月組トップコンビ珠城りょう&愛希れいかが囲み取材に応えて公演への抱負を語った。

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その中で、珠城が「お芝居は宝塚では珍しく現代の日本を舞台にした作品、ショーは今までとは全く違うストーリー仕立てのショー作品ということで、大劇場が始まる時には、皆様にどのように受け入れていただけるのかと不安もあったのですが、すごく温かく見守ってくださいましたので、東京公演もこの勢いで、より熱い舞台をお届けできますよう、気合十分頑張って参ります」

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また愛希が「お芝居もショーも本当に新たな挑戦をさせていただいております。東京のお客様に楽しんでいただけますよう、精一杯努めて参りたいと思います」
と、それぞれ挨拶。やはり、異色の作品に挑戦する気概を各々が持っていることを感じさせていた。

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また役柄に共感できるところは?という問いに珠城が「関わっていく1人1人に対して、真っ直ぐ向き合っていく人だというところ」と答えると、愛希が「舞台に携わる姿勢や、カンパニーの中での色々な感情や人々との出会い」と答え、それぞれの役柄から伝わってくる美点と、演じる本人が共感している部分が一致していることに、深く納得できる時間となっていた。

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尚、囲み取材の詳細は、舞台写真の別カットと共に5月9日発売の「えんぶ」6月号にも掲載致します。どうぞお楽しみに!  

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〈公演情報〉
宝塚月組公演
ミュージカル・プレイ『カンパニー』─努力(レッスン)、情熱(パッション)、そして仲間たち(カンパニー)
原作◇伊吹有喜
脚本・演出◇石田昌也
ショー・テント・タカラヅカ─『BADDY』─悪党(ヤツ)は月からやってくるミュージカル
作・演出◇上田久美子
出演◇珠城りょう、愛希れいか ほか月組
●3/30〜5/6◎東京宝塚劇場
〈料金〉SS席 12,000円 S席 8,800円 A席 5,500円 B席 3,500円 (全席指定・税込)
〈お問い合わせ〉東京宝塚劇場 03-5251-2001




【取材・文/橘涼香 撮影/岩村美佳】 

稀代のエドガー役者「明日海りお」を待ち続けた奇跡の舞台化! 宝塚歌劇花組公演ミュージカル・ゴシック『ポーの一族』

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少女漫画史に燦然と輝く萩尾望都の傑作「ポーの一族」の初の舞台化である、宝塚歌劇花組公演ミュージカル・ゴシック『ポーの一族』が日比谷の東京宝塚劇場で上演中だ(25日まで)。

「ポーの一族」は少女漫画界の押しも押されもせぬ第一人者である萩尾望都が、1972年に「別冊少女コミック」にて第1作を発表して以来、多くの人々を魅了し、熱狂的なファンを世界規模で獲得している、少女漫画界の金字塔的作品の1つ。西洋に伝わる吸血鬼伝説を基に、少年の姿のまま永遠の時を生きるバンパイア=バンパネラ、エドガーを主人公に、個性豊かな登場人物たちが200年以上の時を駆ける連作漫画で、1976年に物語は完結していたが、2016年から2017年にかけて、40年ぶりの新作が書き下ろされ大きな反響を呼び起こしたことは記憶に新しい。
この傑作漫画に魅了され、いつかミュージカル化したいとの夢をもって、宝塚歌劇団に入団した小池修一郎が、萩尾望都との偶然の出会いの折に、上演を直談判。それが縁となって、小池作品を観劇した萩尾が、この人ならばと「いつでもOKです」と宝塚歌劇での上演を快諾。以来実に30年。主人公エドガーが宝塚歌劇のスターが通常演じる年齢設定よりも、年若い少年であることをはじめ、様々な要因で上演の実現に至らなかった間も、多方面からの度重なる上演依頼を「お約束している方がいますので」と萩尾が固辞し続けるという、想いの深さが僥倖となり、明日海りおという稀代のエドガー役者を得て、遂に宝塚の舞台に『ポーの一族』が登場することとなった。

【STORY】
イギリスの片田舎スコッティの森。当人たちには何の咎もない出生のいわれから、森の奥深くに置き去りにされた兄妹、エドガー(明日海りお)とメリーベル(華優希)は、薔薇の咲き乱れる館に住む老ハンナ・ポー(高翔みず希)に助けられ、健やかに成長していた。自分たちがもらわれっ子だと自覚しているエドガーにとって、メリーベルはたった1人の肉親であり、命に代えても守るべき者として慈しみ、メリーベルもエドガーを世界の全てのように慕っていた。
ある日、村の子供たちから捨て子だとからかわれてケンカ沙汰になったエドガーの前に、美しい貴婦人シーラ(仙名彩世)が現れる。傷の手当てをしてくれたシーラとの語らいに心弾ませるエドガー。それは初恋とも言えない、記憶にない母親という存在への思慕に似た想いだったが、その想いは一瞬にして儚くも萎んでいく。シーラは老ハンナの一族ポーツネル男爵との結婚の赦しを得る為に、薔薇の館を訪れたのだ。
その夜二人の婚約式が行われるから、離れから出ないようにと言い含められたエドガーは、婚約式に出られないのは「私達がもらわれっ子だから?」とのメリーベルの悲し気な問いを否定するように、婚約式をのぞき見る。だが、エドガーが見てしまったのは、老ハンナから首筋に口づけされ、人ではない一族に加わったシーラの姿だった。「ポーの一族」はすなわち、吸血鬼=バンパネラの一族だった。エドガーはその利発さと芯の強さを、将来の一族の長にと見込まれ、老ハンナに引き取られたことを悟る。
「大人になったら、我々の一族に加わるね?」
秘密を知ってしまったエドガーに誓約を迫る老ハンナの言葉に、エドガーはメリーベルを巻き込まないことを条件にうなづくしかなかった。エドガーの希望で、薔薇の館からメリーベルは養女に出され、エドガーは永遠に時を止める瞬間が迫ることにおののきながら生きることになる。だが、その瞬間は唐突にやってくる。かねてから館の住人に疑惑の目を向けていた村人たちが、一族の正体に気づき、杭と松明を手に館を取り囲んで、最初の犠牲者となった老ハンナが消滅する。妻の想いに応える為、一族の中で最も強く濃い血を持った大老ポー(一樹千尋)は、エドガーの首筋に口づけると、ポーツネル男爵夫妻にエドガーを託し、村人たちとの戦いの中で消えていく。
混濁した意識の中でエドガーは、自らが変化していくのを感じていた。時の流れが永遠に止まり、少年のままバンパネラとなったエドガー。永遠に成人しない彼はもう、1つ所に長く暮らすことは許されない。終わらない旅に出る前に、一目だけでもとメリーベルに会いに行ったエドガーだったが、兄が迎えに来る日を信じて待ち続けていたメリーベルもまた、エドガーに全てを委ねて共に行く道を選ぶ。
1879年。新興の街ブラックプール。まるで絵のように美しい一家と噂されるポーツネル男爵夫妻と、その「息子」エドガー、「娘」メリーベルは、男爵夫妻が密かに一族に加えるに相応しい人物を探していることを知っていた。永遠に続く旅路は、愛がなければ進むことができない。その時エドガーの前に、心の拠り所を持たず、愛を知らぬまま孤独に生きる少年、アラン・トワイライト(柚香光)が現れて……

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原作となった萩尾望都の「ポーの一族」は、いくつものエピソードが連なる1篇1篇が、連作漫画として発表され回を重ねた作品で、200年以上に渡る物語が、時系列には並んでいない。美しい絵柄と、詩篇にも似た言葉が綴られたエピソードが、時代を自在に行き来しながら、エドガー、アラン、メリーベル、ポーツネル男爵夫妻、等「ポーの一族」が、如何にして一族となっていったのかが、少しずつパズルのピースのようにはまっていくのだ。そこには、作品の発表のされ方自体にすでに、深い霧に包まれた森の中から忽然と現れる、薔薇の館にも似た神秘性があり、そのミステリアスな独特の世界観に熱狂する少女たちを世界中に生み出した。
今、改めて考えると、携帯電話もインターネットもない、容易に求める情報が得られない時代に、永遠の少年の深い孤独と、愛を乞う想いを、敏感に察知していった少女たちの感性には、研ぎ澄まされた独特の嗅覚が備わっていたのだなと、つくづくと感じさせられる。そしておそらく、溢れかえる情報の海の中で、瞬時に画一的な答えが出ることが当たり前になってしまった今の時代では、このような作品の発表の仕方そのものが極めて難しいだろう。物語を紡ぐ側だけでなく、受け取る側に余白を楽しむ豊かな想像力と文学への素養があった、「物語」にとって幸福な時代にこの作品は生まれ出て、今尚、愛され続けているのだ。

その「物語」を人が演じる時に、宝塚歌劇の幻想性が最も相応しいと、宝塚の座付作家への道を歩みはじめた小池修一郎が夢を見て、原作者の萩尾望都がその夢を信じた、その一致した想いには、「物語」にとって幸福な時代に、ジャンルは違えど稀有な才気を持って生まれてきた者同士の、やはり嗅覚が働いていたのは間違いない。二人の天才は、共に天才故の洞察力で「ポーの一族」の命運を、宝塚歌劇に託した。この物語を具現化できるのは、この世ならぬ美を描き続けてきた、宝塚歌劇という世界しかないと。
だが、ことはそう簡単には進まない。実際に宝塚歌劇の劇作家となって、小池は気づく。宝塚の男役トップスターが「少年のまま」という作品は、ほぼ例がないことに。更にその永遠の少年は「バンパネラ」だ。彼が永遠に生きていく為には、人のエナジー=生き血を必要とする。彼ら「ポーの一族」は単純に異端の者ではなく、人にとって害をなすものだ。ここには自分と同じ思想や、宗教を持った者たちを排斥しようとする狭量さを批判するだけでは、解決できない問題が横たわっている。侵害されるのが思想や民族の絆ではなく、命そのものであった時に、一族の館を襲撃する村人たちを、誰が責めることができようか。つまり主人公が人にとって負の存在であること。これは、稀有な例外を除いて、主人公が等しくヒーローである宝塚にとって、極めて困難なハードルだと言わざるを得ない。
だから小池は「ポーの一族」の宝塚化の夢を封印し、実に30年の時が流れた。その間の心境を、萩尾がいみじくもパンフレットに書いている。「私は思った。(私の生きてるうちには、見られないかもなぁ)そしたら天国で見るかなぁ。それでもいいか」
原作者をして、生きているうちには実現しないかも、と思わせた企画。それでも尚、宝塚歌劇にしか託せなかった企画。その企画が遂に実現したこの舞台を、奇跡と呼んでも、これは決して大げさではないだろう。その奇跡を起こしたのが、他ならぬ花組トップスター明日海りおであり、現在の花組の面々だ。

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実際、エドガーの魅力は、美しさの中にある毒に他ならない。この美しい少年の中には、極めて危険な香りがある。でもだからこそ惹かれる。彼の孤独をひと時癒す為ならば、文字通り命を捧げても構わない。氷の刃に身を委ねてしまって悔いはない。そう思わせた時に初めて、人に対して負の存在であるバンパネラの姿は、鮮やかに反転し「美は正義なり」の宝塚世界に、主人公として降り立つことが可能になる。その離れ業を、明日海りおはやってのけた。幼少の時に妹と共に無残に捨てられ、望まぬままにバンパネラとならざるを得ず、愛を求めて永遠の時を彷徨う。エドガーの哀しみと、葛藤と、心の渇きを、明日海が繊細に描き出し、旅の道連れを求める姿に心を寄せられた瞬間、この異色の主人公が、宝塚歌劇のトップスターが演じるに相応しい役柄となった。30年、小池と萩尾と、何より作品そのものが、明日海りおを待っていた。最早、それ以外に言葉がない。

しかも、その同じ時代の、同じ花組に柚香光がいたことが、この奇跡を完全なものにする。エドガーが最後にその手を取るアランは、約束された未来がありながら、真実欲しているものを何1つ手にすることができずにいる少年だ。その孤独を演じるのに、柚香の美しさと、内にある少年性が、どこか空恐ろしいまでに共振し、未だ発展途上の、多分に粗削り故の勢いも、アランという役柄全てにプラスとなった。しかもこれまでのキャリアで明白だった、人外の者を演じさせたら右に出る者のない柚香独特の空気感が、ラストシーンでほぼ立っているだけのアランが、すでにバンパネラであることをものの見事に表出してくる。やはり30年の歳月は伊達ではない。ここまで完璧な一対が、再び宝塚に揃うことが果たしてあるだろうか。

更に小池が、バンパネラが生きていく為に欠くべからざる、共に永遠の時を生きる「愛する者」の存在を、よりロマンティックに色濃く描き出したことが、宝塚版『ポーの一族』の顕著な点で、その象徴として、トップ娘役の仙名彩世に、愛の為に自らバンパネラとなることを選択した貴婦人シーラをあてたことも、作品の宝塚らしさに大きく寄与している。愛の為に迷いなくバンパネラとなるシーラの強さは、ある意味尋常ならざるものだ。作品の中で、冷静な状態でバンパネラになることを選んだ、唯一の人物と言っても良いシーラが、仙名が演じることでよりクローズアップされ、疑似親子だったエドガーとの関係に、真の絆を結ぶ場面が殊更胸に響くのは、仙名の高い地力と共に、キャスティングの妙。彼女と永遠に結ばれ共に散るポーツネル男爵の瀬戸かずやの、ダンディーで怜悧な誇り高さも印象的で、原作とは描き方の異なる二人の最期も実に幻想的で美しい。

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また、エドガーが最後まで守ろうとし、アランも真っ直ぐな心を寄せるメリーベルの華優希は、ピンクのドレスと金髪の鬘が抜群に似合い、まるで生きて動いている人形のよう。エドガーがこよなく愛するに相応しい、ひたすらに可憐で、美しくいてくれることが必須命題のメリーベルとして、文句のつけようのない造形を示した。この人の存在もまた、作品の重要なピースとなっている。

彼ら「この世ならぬ者」の空気感に伍して、極普通の人間臭さをきちんと出したクリフォードの鳳月杏の、嫌味なくプレイボーイを演じる達者さは貴重だし、その婚約者ジェインの桜咲彩花の、自らの負の感情を戒めようとする慎み深さの表現も見事。はじめ物語全体を外から見ているストーリーテラーであり、やがて時代を遡り、血続きの祖先として登場するバイクと、バイク4世を演じる水美舞斗の存在感が大きくなったことが、この二重構造を支えている。同じ役割りで冒頭を担うドン・マーシャルの和海しょうは、過去のシーンで歌唱力を、マルグリットの華雅りりかはキュートさをと、それぞれ持ち味が生かされ、ルイスの綺城ひか理が、新人公演での主演経験を経て、スター性を増し、ラストシーンの展開を印象的につなげている。原作からそのまま抜け出したかのような小生意気なマーゴットを、十分に美しい城妃美伶が思い切りの良い演技で描写している健気さも、宝塚ならではの美徳。バンパネラを憎む村人ビルと、アランの伯父ハロルドという、共に重要な役柄を演じ分けた天真みちるは、ますます良い役者ぶりに磨きがかかっているし、村の牧師とオルコット大佐の二役の羽立光来も、持ち前の歌唱力だけではなく演技者としても着々と進歩していて頼もしい。原作では大きな役どころであるグレンスミスの優波慧、オズワルドの冴月瑠那、ユーシスの矢吹世奈が、ピンポイントの出番で役柄の存在感を示したのには、本人たちの力量を感じる。優れたダンサーでもあった矢吹の、新人公演学年での退団が惜しまれる。そのユーシスの母を、やはりこの公演で退団する紗愛せいらにあてたのも粋なはからい。物語後半の展開にスピード感を与える降霊術師ブラヴァツキ—の芽吹幸奈の、良い意味のアクの強さを、やはりこの公演で退団するイゾルデの菜那くららの、純朴な持ち味がより引き立てる効果になっている。バンパネラとなったエドガーが初めてその手にかける、デイリーの音くり寿も美しい歌声を響かせた。

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もちろんベテラン勢の活躍は大きく、老ハンナの高翔みず希は、最早男役女役を問わない優れた役者として全体を引き締めているし、アランの母レイチェルの花野じゅりあの、母である前に女である存在が、過度に嫌味にならない弱さの表出が巧み。贅沢な起用になった専科勢は、大老ポーの一樹千尋が、余人に代えがたい骨太の存在感を表せば、医師カスターの飛鳥裕が、この人ならではの穏やかな人柄がにじみ出る演じぶりで、個性的な役柄の多い作品の中にあって殊更に目を引く。これだけのキャリアを重ねて尚、優しさにあぶれた役柄、良い人の造形に最も真価を発揮することがブレなかった飛鳥が、役者としてだけでなく、組長として長く重用されてきたことに得心がいく、この人らしい温かい有終の美だった。

この幽玄の世界観から、シャープなフィナーレにつながって違和感がないどころか、二度美味しいと思わせてくれるのも宝塚ならではで、KAORIaliveの振付も新鮮。また、作品の世界観からして太田健の楽曲に、もうひとさじ複雑さがあっても良かったか?とは思うものの、平易なメロディー故の覚え易さという利点があったのも確かで、原作世界を時系列に添った物語としてわかりやすく提示した、小池の脚色との相性も良かった。
総じて、明日海りお率いる今の花組でしかできない、一期一会の作品として『ポーの一族』が宝塚歌劇の舞台に具現された、あらゆる意味での「奇跡」に想いを至す舞台となっている。

キック 囲みキメ

初日を前に通し舞台稽古が行われ、花組トップコンビ明日海りおと、仙名彩世が、フィナーレのデュエットダンスの衣装で、囲み取材に応えて公演への抱負を語った。

囲み・明日海

その中で、不朽の名作の宝塚ならではの見どころは?と問われて、明日海が原作世界への敬意を改めて語りながら「宝塚の生徒にしか出せない団結力が見どころです、と言えるようにできたらいいなと思います」と、花組を率いるトップスターとしての力強い意欲を語る。

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同様に仙名が「舞台の上でそれぞれのキャラクターが呼吸をして息づいている姿、そのエネルギーを皆様に感じて頂けたらと思います」と、やはり花組全員への想いを語り、トップコンビとしての同じ目線を感じさせた。

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そのトップコンビとしては、今回の役どころの関係性が異色のものになったが、演じる側としては?という質問に、明日海が、普段のスタイルとは異なる関係性だからこそ新鮮で面白いと感じると語り、劇中刻々と変化していく感情があり、最後にデュエットダンスで出会った時にまたいつもと違う感覚があるので気合が入ると、今回ならではの心境を解説すると、仙名も最初のエドガーが「体育座りをしていて」と実際にドレス姿でポーズを取る一幕も。

囲み 明日海&仙名 体育座り

その状態から上を見上げて笑う明日海のエドガーを「キュッと(抱きしめたくなる)」と表現し、この作品の互いの関係性を、二人が深く楽しんでいることが伝わる時間となっていた。

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尚、囲み取材の詳細は、舞台写真の別カットと共に、5月9日発売の「えんぶ11号」(6月号)にも掲載致します!どうぞお楽しみに!
 
囲み 明日海&仙名 縦位置
囲み 明日海&仙名 全身


〈公演情報〉
宝塚歌劇花組公演
ミュージカル・ゴシック『ポーの一族』
原作◇萩尾望都「ポーの一族」(小学館フラワーコミックス)
脚本・演出◇小池修一郎
出演◇明日海りお、仙名彩世 他花組
●2018/2/16〜3/25◎東京宝塚劇場
〈料金〉SS席12.000円 S席8.800円 A席5.500円 B席3.500円
〈お問い合わせ〉0570-005100 宝塚歌劇インフォメーションセンター
〈公式ホームページ〉 http://kageki.hankyu.co.jp/




【取材・文/橘涼香 撮影/岩村美佳】



雑誌「えんぶ」2018年4月号販売ページ


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動乱の時代を生きた男の人生を、轟悠が骨太に活写 宝塚歌劇星組公演ミュージカル『ドクトル・ジバゴ』

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ロシア革命前後の時代のうねりの中で、医学を学び詩を愛した男の人生を2時間に凝縮したミュージカル宝塚星組公演『ドクトル・ジバゴ』が、専科の轟悠以下、星組の選抜メンバーにより赤坂のTBS赤坂ACTシアターで上演中だ(26日まで)。

原作となる「ドクトル・ジバゴ」はソ連の作家ボリス・パステルナークが1957年に発表した小説。ロシア革命前後の混乱に翻弄されながらも懸命に生きる主人公を描き、戦争、革命の中に於いても、人間は愛を失わないというテーマが高い評価を得て、名曲「ララのテーマ」がとりわけ有名な1965年デヴィッド・リーン監督による映画版をはじめ、幾たびかの映像化がなされている。また2015年にはブロードウェイミュージカルとしても上演されていて、今回は、原田諒がオリジナルの宝塚版として創作した作品となっている。

【STORY】
20世紀初頭のロシア。モスクワの街頭ではロマノフ王朝を倒し、新しい時代を求めようとする人々が生きる権利を主張し、「民衆にパンを!農民に土地を!」とシュプレヒコールをあげるデモが頻発。それを抑えようとする竜騎兵との衝突が続いていた。
幼い頃両親を亡くしたユーリ・ジバゴ(轟悠)は、叔父のアレクサンドル(輝咲玲央)に引き取られ、医学の道を志している。共に育ち心を寄せて来た従妹トーニャ(小桜ほのか)との結婚も決まり、確かな未来が待っているかに見えるユーリだったが、詩人としての才にも長けていた彼は、古き良きロシアの息吹を詩に綴る一方で、この国を支えているのは労働者であり、貴族が安逸を貪る時代が終わろうとしていることを悟っていた。
そんなユーリとトーニャの婚約披露パーティーの席上で、客の1人だった弁護士コマロフスキー(天寿光希)が、拳銃で撃たれる騒ぎが起こる。コマロフスキーを撃ったのは洋裁工房「アマリヤ」の娘ラーラ(有沙瞳)だった。彼女には帝政打倒の革命に情熱をもやす学生パーシャ(瀬央ゆりあ)という恋人がいたが、母アマリヤのパトロンであるコマロフスキーにそのことを知られ、母に告げると脅され執拗に関係を迫られていたのだ。だが、事を公にするのは得策ではないと判断したコマロフスキーは、ラーラを警察に引き渡すことはせず、パーシャと共にその場を引き取らせる。そんなコマロフスキーの手当てをしたユーリは、彼こそが父親の財産を騙し取り死に追いやった張本人だと気づく。それでもユーリは傷ついた人を助けるのが医師の使命であると、己を律してコマロフスキーの治療をした。
1914年、ロシアは第1次世界大戦に突入し、ユーリは自ら志願し、友人の医師ミハイル(天華えま)と共に、ウクライナの野戦病院で、多くの負傷兵の治療にあたっていた。そんな日々の中で、ユーリは従軍看護婦として働いていたラーラと再会する。コマロフスキーから逃れたラーラはパーシャと結婚し、別の村で新たな生活を始めていたが、コマロフスキーとラーラとの関係の疑念を拭い去れないパーシャは、彼女のもとを去り、入隊してしまったという。ラーラは行方のわからないパーシャを追って従軍看護婦に志願していたのだ。失意のラーラを温かく励ますユーリ。彼にもまたモスクワに残した妻トーニャがいたが、妻を思う気持ちの一方でユーリは、ラーラとの縁に運命的なものを感じていた。
そんな中、遂に皇帝が退位し、ロシア帝国は崩壊したとの報せが届く。祖国は社会主義国ソヴィエトへと変貌し、ユーリとラーラは互いに心を残しつつ、ウクライナを後にする。
家族の元に戻ったユーリが目にしたのは、変わり果てたモスクワの街だった。邸宅はソヴィエトの方針によって、人民の共同住宅となり、「アマリヤ」のお針子で、トーニャのドレスの仮縫いをしていたオリガ(紫りら)が、今や党の委員として邸宅を管理。特権階級だったトーニャへの憎しみから、度々食べ物を没収するなど厳しい処遇を強いていた。個人の権利を認めないモスクワで人間らしい暮らしを営むことはできない。国が生まれ変わるというのなら、新たな土地で新たな生き方を見つけよう。そう決意したユーリは、家族を連れ亡き母の残したユリャーチン郊外にあるワルイキノの別荘を目指し、汽車の旅に出る。
だがその旅の途中、スパイの疑いで赤軍派の将校に尋問されたユーリは、革命思想に反するものには血も涙もない粛清を行う、と恐れられている赤軍派の将軍ストレ二コフこそ、ラーラの夫パーシャだと知る。革命への狂信以外の何もない男に変貌しているパーシャを見て、ユーリはラーラの身の上を案じながらも、ワルイキノでの生活をはじめ、トーニャとの間には新しい命も宿っていた。ところがその束の間の穏やかな日々の中で、ユーリはまたも運命の人ラーラにめぐり合ってしまう。運命の歯車は再びユーリを大きなうねりの中へと押し出していき……

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人類史上初めて、社会主義の名のもとに新しい社会体制をつくり出したロシア革命は、私有財産制による社会の不平等を廃し、生産手段の共有と共同管理による平等な分配を目指して、ロシアに劇的な改革をもたらした。この社会主義社会の思想と運動を「人類史の大いなる進歩」と位置づけ、社会主義革命の輸出に力を注いだ、ソヴィエト連邦にとって、平等を目指した自国の社会に起こっている矛盾や、混乱を赤裸々に描き出した小説「ドクトル・ジバゴ」は、ロシア革命を批判する、革命が人類の進歩と幸福に必ずしも寄与しないことを証明しようとした無謀なものとして、激しい非難の対象となった。その為、作品はソヴィエト連邦で発表・出版することが許されず、密かに持ち出されたイタリアで刊行され、ようやく世界的に知られるところとなり、世界18ヶ国で出版。1958年にはノーベル文学賞が作者パステルナークに授与された。
だが、ソ連共産党がパステルナークをソ連の作家同盟から除名、更に国外追放もありうる、と宣告する等の手段で、受賞の辞退を強制。受賞すれば亡命は避けられない考えたパステルナークは「祖国を去ることは、死に値する」と受賞を辞退した。これは、政治的な理由でノーベル賞受賞の辞退を余儀なくされた初の例となったが、ノーベル委員会はこの辞退を認めず、パステルナーク不在のまま、予定通りノーベル文学賞を与え、これによってパステルナークは辞退扱いになるのを免れ、今も公式に受賞者として扱われている。
このパステルナーク同様に、音楽史にその名を残す著名な作曲家ラフマニノフも、亡命後のアメリカで作曲活動を行わない理由を問われ、「私はもう長いことロシアの大地を踏んでいない。ロシアの白樺も見ていない。リラの花の香りもかいでいない。このような状態でどうして筆を進められようか」と答えている。社会の形が根底から覆され、自由な発言も封じられた中で、更に極寒の厳しい風土を持つ北の大地を、彼らは何故そこまで愛し、慕うのか。その根本にある、祖国への迸る思いとこの作品とは、切っても切れない関係で結ばれている。そこには、厳しくも大きなロシアの大地への揺るぎない愛があり、社会の形がどんなものになろうと、この土地で生を受けた自分が、如何に人間らしく生きるか?という命題との闘いは、土地への愛、人への愛を失わないことだった。それだけが、彼らにとっての生きる尊厳であったに違いない。

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そんなあまりにも骨太な作品を宝塚歌劇で描き出すのは、非常に大きな困難を伴う。「死の後まで愛によりて結ばれん」を貫く純愛こそ至高としてきた宝塚の世界で、この作品のユーリが取る行動は、下手をすれば、単なる不実な浮気者とも取られかねないからだ。
けれどもそこに轟悠がいることによって、この大地と人への大いなる愛をまっとうする主人公の不器用な生きざまが、宝塚歌劇として成立する力となっている。時分の花を咲かせて、その花が最も美しい時にいさぎよく散ることを美学としている宝塚歌劇のトップスターの中で、現在唯一、宝塚の大地に深く根を下ろし、永遠の大木であり続ける道を選んだこの人だけが、ユーリ・ジバゴの人間愛を、その誇りを、あくまでも気高く表出することができる。轟とのタッグが3回目となる作・演出の原田諒が、それをきちんと見極め、轟悠主演という機会を待って『ドクトル・ジバゴ』に取り組んだのは、作家の優れた慧眼として評価できる。実際、原作があると言ってしまえばそれまでだが、大きく変転していく主人公の運命と、ロシアの広大な大地を、過度にならない映像を駆使しつつ、時には極めてアナログな転換も交えて見事に描いたのは、原田作品お馴染みの装置の松井るみの仕事にも力を得た、優れたものだった。これまでの作品群から、原田は2時間が割けるこうした別箱の仕事に、より成果を発揮するようだ。あとは、大劇場作品を手掛けた時、その足りない30分をどう咀嚼するかが、これからの原田の課題と言えるかも知れない。次作品にも期待したい。
また、玉麻尚一の音楽も、麻咲梨乃をはじめとした振付家陣の振付も、いきなりロシア民謡になる、いきなりコサックダンスになる、というベタな方法論には決して陥らずに、そのエッセンスを絶妙に加味しながらのオリジナルで、作品をしっかりと支えていて、轟悠主演作品のスタッフワークには、常に驚くべき力感がある。

そのスタッフ陣の本気を引き出す存在でもある轟悠が、ユーリ・ジバゴの生きざまを、つまりは『ドクトル・ジバゴ』という作品を、宝塚歌劇として成立させた様には、ただ感嘆するしかない。医学生としての登場時が、どこか頼りなげで、ふわふわとして見えるのは、轟がかつて任でない役柄をも懸命に演じていた若手時代を彷彿とさせて微笑ましいが、それもきちんと計算されていて、そこからユーリが芯を持った大人の男へと成長していく様を映し出して鮮やか。特に医師であり、詩人でもあるというユーリの純粋な魂が、永遠のタカラジェンヌであるこの人が持っているファンタジー性と上手くつながり、ラーラと迎えた朝の会話に迸る美しい色気には見惚れるばかり。雪原の幻、そしてラストシーンと、極めて宝塚らしい様式美と、作品の社会性を融合させた、轟悠がいなければ成立しない作品が、また1つ生まれたことは、この人が宝塚に存在し続ける意義を、改めて知らしめる場となった。

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その轟の運命の相手ラーラを演じた有沙瞳は、激動の時代の中流転していく女性の、芯の強さの中にある、はかなさ、脆さを美しく表出して、ユーリに別かち難い楔を残す女性であることに説得力を与えている。金髪のカツラも実によく似合い、持ち前の歌唱力だけでなく、激しい芝居にもわざとらしさを感じさせない演技力も深まり、星組に加入以来破竹の勢いで伸びている姿が眩しいほど。轟と対峙したことでまた得るものも更に大きかったことだろう。ますます注目していきたい。

パーシャの瀬央ゆりあは、本人の資質からくる温かい優しい男役としての持ち味を封印した、凄味ある演技で目を奪う。特にストレリ二コフとなってからの冷徹な鉄仮面ぶりに全く無理を感じさせず、堂々と轟に立ち向かったことはは、瀬央の確かな成長を感じさせた。絶命する場面の、宝塚の粋を超えていると思えるリアルな表現も果敢にこなし、劇団期待の95期生の中では遅咲きに属する人だが、一気に駆け上がって来ているのは頼もしい限りだ。

ユーリの妻トーニャの小桜ほのかは、夫の心にラーラがいることを感じながらも、夫への尊敬と愛を貫く役どころを健気に演じている。夫にしたためる手紙が、この女性もまた知性と教養を備えた人物なのだと感じさせ、その凛とした姿が美しい。出すぎず、引きすぎずの好演だった。また、ユーリの親友の医師ミハイルの天華えまは、意外に描き込まれていない役柄を、天華えまというスター個人の存在感で際立たせていて、それによって最後のナレーションが唐突にならなかったことを思うと、この人の躍進にも目覚ましいものがある。

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他にも、ユーリの養父アレクサンドルの輝咲玲央が、轟の養父にちゃんと見える佇まいを示したのはあっぱれだし、彼らの家に仕えるエゴローヴナの白妙なつの献身、革命を体現する存在であるオリガの紫りらの冷ややかさ、母である前に女であるラーラの母アマリヤの白鳥ゆりやの打算、ユーリを浚うパルチザンの首領リヴェーリィの朝水りょうの美貌を活かした怜悧、ユーリの運命を結果として狂わすヴドヴィチェンコの蒼舞咲歩の朴訥、ラーラの理解者ワーシャの天希ほまれの爽やかな二枚目としての資質など、登場人物も充実。原田の感性とはやや合わないのか『ベルリン、我が愛』に続いて役不足感が残るガリューリン少尉の麻央侑希も、少ない出番で押し出しの良い舞台ぶりを見せていて、捲土重来を信じたい。

その原田の感性にとびきり響くのだろう天寿光希が、ユーリとラーラの出会いとその後のすべてに関わるコマロフスキーを、心憎いほど自在に演じていて、轟に続く影のMVP的存在。低くつぶやくような発声ながら、全く聞き取れないことはないという、絶妙な台詞術に裏打ちされた立ち居振る舞いで、この人物の胡散臭さと、二人に立ちはだかる障害の大きさを表現していて、作中の役柄としても極めて大きな比重を支え切ったことは喝采に値する。『ベルリン、我が愛』でも、最も儲け役と言える役柄を引き当てていたが、こちらは単なる儲け役には留まらない難役であり、重要な役柄をこれだけ堂々と演じられると証明したのは、男役天寿光希にとって、重大なエポックメイキングとなることと思う。今後の活躍にも期待したい。

総じて、轟悠という大木を得て、星組メンバーが歯ごたえの大きな作品に立ち向かった力感が生きていて、この挑戦が組の財産ともなる成果を残すだろう作品となっている。

〈公演情報〉
宝塚歌劇星組公演
ミュージカル『ドクトル・ジバゴ』
〜ボリス・パステルナーク作「ドクトル・ジバゴ」より〜
脚本・演出◇原田諒
出演◇轟悠(専科)有沙瞳 ほか星組
●2/20〜26◎TBS赤坂ACTシアター
〈料金〉S席 7,800円 A席 5,000円 (全席指定・税込)
〈お問い合わせ〉宝塚歌劇インフォメーションセンター 0570-00-5100(10時〜18時)
〈公式ホームページ〉http://kageki.hankyu.co.jp/


【取材・文/橘涼香 撮影/岩村美佳】




帝劇ミュージカル『1789』
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