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宝塚月組の男役スター月城かなとの東京初主演作品Musical『THE LAST PARTY〜S.Fitzgerald's last day〜フィッツジェラルド最後の一日─』が上演中だ(日本青年館ホールは20日まで。大阪・梅田芸術劇場シアタードラマシティは6月30日〜7月8日まで上演)。

Musical『THE LAST PARTY〜S.Fitzgerald's last day〜フィッツジェラルド最後の一日─』は「華麗なるギャツビー」をはじめとした、狂騒の20年代を象徴する、アメリカ文学史上に大きな足跡を残した作家、スコット・フィッツジェラルドの半生を描いたミュージカル。04年に大和悠河主演の宙組、大空祐飛主演の月組で初演され、06年に東京再演を果たした植田景子の意欲作で、主演のスコット・フィッツジェラルド役に月城かなとを擁して、12年ぶりの上演となった。

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【STORY】
1940年12月21日。アメリカ文学を代表する小説家スコット・フィッツジェラルド(月城かなと)は、恋人であり、保護者のような存在でもあるシーラ(憧花ゆりの)の、ハリウッドのアパートメントで、長編「ラスト・タイクーン」の執筆に取り組んでいたが、重い心臓発作に倒れる時が刻一刻と近づくのを感じていた。彼は人生の最後の幕が下りる前に、その半生と自分を取り巻いた時代と人々を思い起こす。

アメリカ中西部の田舎町セント・ポールで貧しい少年時代を過ごしたスコットは、偉大な作家となり富と成功とアラバマ・ジョージア2州に並ぶ者のない美女、ゼルダ(海乃美月)を手に入れるという、野心に燃えていた。スコットにとってゼルダは夢のすべての象徴だった。そんな彼の才能を認めたスクリブナーズ社の編集長マックス(悠真倫)の尽力により、1920年「楽園のこちら側」で文壇デビューを果たしたスコットは、ニューヨークにゼルダを呼び寄せて結婚。アメリカに訪れた空前の好景気の中で、ハンサムな人気作家と、彼が描くヒロインのモデルであり、フラッパーガールのシンボルでもあるその妻は、瞬く間に時代の寵児となっていく。
だが、大衆受けする売れっ子作家としての名声も手放したくないながら、本格派の芸術作品を書きたいとの作家としての欲求の間で揺れ動くスコットは、連日連夜のパーティに明け暮れる日々の中で、次第に自己の葛藤を肥大させていく。一方ゼルダもまた「人気作家の妻」としてではなく、自分自身で自己実現を果たしたいという想いに苛まれていた。
そんな妻の想いを知らぬまま、スコットは1924年すべてをやり直そうとアメリカを離れ、南仏のリヴィエラに居を構え、長編「華麗なるギャツビー」の執筆に作家生命を懸けて打ち込んでいく。そんなスコットの姿に更に焦燥と不安を募らせていったゼルダは、彼女に想いを寄せる海軍士官エドゥアール(英かおと)と密かに親密な関係を築いてしまう。妻の異変に気付いたスコットは、その疑惑をも「華麗なるギャツビー」の世界に投影させて作品を書き進めていたが、遂にゼルダとエドゥアールの密会現場に遭遇し、ゼルダを激しく責める。絶望したゼルダは多量の睡眠薬を飲み自殺を図り、かろうじて一命はとりとめたものの、すでに二人の間には修復不可能な亀裂が生じていた。その傷口を見つめたまま二人はリヴィエラを去る。
「華麗なるギャツビー」を書きあげたスコットは、名実ともにアメリカ一の作家との賞賛を浴びる中で、1人の青年の原稿に才能の煌めきを感じ、彼をマックスに紹介する。その青年こそアーネスト・ヘミングウェイ(暁千星)だった。
そして1929年、ニューヨーク株価の大暴落により世界恐慌がはじまり、狂騒の20年代・ジャズエイジの時代は終焉を迎え、その時代と共にあったスコットの栄光に彩られた人生も、大きく変転していく。スコットの描く小説は空疎な絵空事と捉えられるようになり、リアリズムから立ち上がる骨太な芸術作品を志向するヘミングウェイが次々に発表する作品群が、皮肉にも作家フィッツジェラルドの脅威となっていく。やがて妻ゼルダは精神に異常をきたし、医師(響れおな)に全快の見込みはないと告げられる。スコットはゼルダの治療費と娘スコッティ(菜々野あり)の教育費の為に、意に添まないただロマンチックなだけの恋愛小説を書き飛ばす日々を送らざるを得ず、筆が荒れると共に酒に溺れてゆき……

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小説に限らず、音楽でも美術でも、作品が生まれた時代の評価と、後世の評価が大きく隔たることはしばしばある。特に、スコット・フィッツジェラルドのように作家自身が生きた時代と、その作品とが分かち難く結びついていた作家の場合、時代にもてはやされた分だけ、その終焉と共に作品が不当に低く評価されてしまう面があるのは、避け難い事実だろう。実際、こうして作家スコット・フィッツジェラルド自身を主人公にした本作に接しても、或いはかつて宝塚歌劇団に在籍していた劇作家荻田浩一が創り、月影瞳が一人芝居で演じた、フィッツジェラルドの妻ゼルダを主人公とした舞台『ゼルダ』や、やはり霧矢大夢が一人芝居で演じた同じゼルダを主人公とし、奇しくもゼルダ最後の日を描いているウィリアム・ルース脚本のストレートプレイ『THE LAST FLAPPER』等の作品を観ても、フィッツジェラルドの生み出した小説世界と、彼らの実人生があまりにも近しくオーバーラップすることに改めて驚くほどだ。ましてや所謂バブルが弾け、天国から地獄にも似た激変の中で苦しんだ人々が、狂乱の時代に熱狂した対象にむしろ憎しみの目を向けたとしても不思議ではない。

植田景子の描いたこの作品Musical『THE LAST PARTY〜S.Fitzgerald's last day〜フィッツジェラルド最後の一日─』には、そうしたある時期には時代の徒花と考えられていた作家スコット・フィッツジェラルドへの、深い愛情が満ち溢れている。夢を追い続けた青年の日々。時代の寵児となり巨万の富を得て尚、真の芸術家を志向する姿勢。作家としての名声が凋落しても、身を削って妻や娘を安楽な生活に置こうとする誠実さ。この作品で描かれるスコット・フィッツジェラルドの苦悩と、あくまでも真摯な姿からは、劇作家植田景子が彼に寄せる強い想いが迸るようだ。
とは言え実のところ、この作品が「スコット・フィッツジェラルドの半生を描く芝居」として創られていて、月城かなとがフィッツジェラルドを演じている役者TSUKISHIROだという謂わば大枠の設定、二重構造が果たして必要だっただろうか?という小さな疑問もないではなかった。特にラストシーン近くで「スコットの死をどう表現するかが勝負だ」という趣旨の台詞を月城が言った時、「あ、そういえば役者役だっんだっけ?」に近い、どこかでびっくりしたような気持ちになったほど、あまりにも作品世界にに没頭していただけに、別にストレートに月城かなとがフィッツジェラルドを演じているで良いのではないか?と思いもした。
けれども、スコット、ゼルダ、ヘミングウェイ、更にその時代に生きた人々がその後歩んだ人生を語るだけでなく(人生を語るだけなら、役の本人が語ったとしても成り立つ)、彼らを後世がどう評価しどう感じたか、つまりは現代の劇作家植田景子が彼らを如何に尊敬し愛しているかを、どうしても言葉として残したかった作家の情熱が、この大枠を創らせたのだろうと思えば、その熱もきちんと受け取ろうという気持ちにさせられる。初演から14年の時を経た今の植田景子が、このテーマを一から取り上げたとしたら、或いは別の表現方法を選択したかも知れない。それでも細部には様々に手を入れつつも、敢えて大ナタを振るわなかったことに、1人の劇作家が1人の作家を愛した気概が感じられた。

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その感触を増幅したのが、主演の月城かなとのどこか朴訥な持ち味だろう。初演を担当した大和悠河のアイドル性、大空祐飛の極めつけのスタイリッシュと、現時点の月城との最も大きな違いは、男役としての素朴さだ。そこには計算し尽くさなくても素のままで美しい月城の恵まれた容姿と、その素材にしては比較的抜擢が遅かった人ならではの、促成栽培ではないからこその穏やかさとがあって、その魅力がこの作品のスコットの誠実さに直結する効果を生んでいた。中でも細やかで深い芝居には強く引き込まれ、すでに観ている作品にも関わらず二重構造を一時忘れさせたほどのパワーが秘められていたことに感嘆する。東京での初主演に際して、男役月城かなとが芝居の人であることが改めて再確認できたのも収穫で、更なる期待を抱かせる機会になったのが何よりだった。

ヒロイン・ゼルダの海乃美月はスコットの夢の象徴としての存在感がくっきりと舞台に立ち上るのが、大舞台で重ねた大役経験の蓄積を感じさせる。月城の誠実さに対して、享楽的でエキセントリックな面を端々に漂わせていくのが、後半の展開につながっていて見事。月組期待の娘役として抜擢された当初から、むしろ大人っぽい個性だったことが学年を重ねてしっくりと馴染んできて、逆に可憐さや儚げな雰囲気をもまとってきたのが発見で、この役で更に一皮剥けた印象が強く、作品に相応しいヒロインぶりだった。

アーネスト・ヘミングウェイの暁千星は、役柄自体の出番が1幕の終盤になってからなだけに、「待ってました!」感の強い登場が鮮やか。月城に鼻持ちならない部分がほとんどないだけに、ヘミングウェイの立ち位置はむしろ難しかったと思うが、早期抜擢の急カーブでスター街道を駆け上ってきている暁の持つ、若いけれども十分に場慣れしているという空気感が絶妙に作用して、そんなスコットとの対比がよく出ていた。抜擢に芝居力が追い付いてきたのも頼もしい上に、やはりフィナーレのダンスナンバーは絶品。ポーズしているシルエットだけでゾクゾクさせるのは暁ならでは。非常に考えられた良い配置だった。

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また、一人前の作家を育てて初めて一人前の編集者になれる、という美徳が生きていた時代の編集者マックスを慈愛深く見せた専科から特出の悠真倫。どこかで母親的存在とは言いつつも、スコットの最後の恋人として月城にちゃんと添える娘役魂が光ったシーラの憧花ゆりの。この人がスコットの傍を去らざるを得なくなる状況があまりにも切なかった秘書ローラの夏月都。等、スコットの周りの人物たちの献身をベテラン勢が美しく描き出せば、ゼルダの浮気相手エドゥアールの英かおとが良い意味のアクの強さを、スコットの娘スコッティの菜々野ありが純真さだけでなく少女の敏感さをそれぞれ確かに演じて気を吐いたし、ゼルダの担当医の響れおな、スコットに辛辣な批評家の颯希有翔がポイントの出番で作品の的確なピースになっているのも月組芝居の伝統を感じさせる。とりわけ若手ホープの風間柚乃が、時代に忘れられていたスコットの小説の美点を、そうとは知らずにスコット本人に語る学生として、短いながら極めて重要な場面を少しもあざとくなく際立たせたのは賞賛に値する。ギャツビーの影、失業者などの役どころもそれぞれ陰影深く演じ、踊り、素質の高さをここでも印象づけていた。

総じて、最下級生の蘭世惠翔までそれぞれに大きな役割りがある作品の美点を、出演者全員が体現していたのが素晴らしく、月組の地力を感じさせる公演となっている。

〈公演情報〉
宝塚月組公演
Musical『THE LAST PARTY〜S.Fitzgerald's last day〜フィッツジェラルド最後の一日─』
脚本・演出◇植田景子
出演◇月城かなと ほか月組
●6/30〜7/8◎梅田芸術劇場シアタードラマシティ
〈料金〉全席 6,800円 (全席指定・税込)
〈お問い合わせ〉梅田芸術劇場シアター・ドラマシテイ 06-6377-3888


【取材・文・撮影(1幕)/橘涼香 撮影(2幕)/岩村美佳】






『カリフォルニア物語』
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