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宝塚歌劇団宙組の新トップコンビ真風涼帆と星風まどかの披露公演である、MUSICAL『WEST SIDE STORY』が、有楽町の東京国際フォーラムホールCで上演中だ。

『WEST SIDE STORY』は1957年に初演され、1961年には映画化もなされた、ブロードウェイミュージカルの金字塔的作品。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』に着想を得て、初演当時のアメリカの社会背景に鋭く切り込んだストーリーと、レナード・バーンスタインによる珠玉の名曲の数々と、ジェローム・ロビンスによる卓越した振付とが相まった、不朽の名作として今も輝き続けている。本邦初演は1968年の宝塚歌劇での上演で、以降主に劇団四季と宝塚歌劇での上演が不定期に重ねられてきた。今回の上演は、その宝塚における本邦初演から50年、宝塚が東京でも通年公演を行うようになった「1000days劇場」こけら落とし公演だった1998年の月組公演から20年、作曲者レナード・バーンスタイン生誕100年、更に宝塚歌劇に第5番目の組「宙組」が誕生してから20年という、あらゆる節目を重ねての記念公演となっている。

【STORY】
1950年代のアメリカ。ニューヨークのウエストサイドでは、ヨーロッパ系移民の親を持つ白人少年非行グループ「ジェッツ」と、新参のプエルト・リコ系少年非行グループ「シャークス」が、なわばりを巡って対立していた。
ジェッツのリーダー・リフ(桜木みなと)は、小競り合いの続く状況を打破しようと、シャークスのリーダー・ベルナルド(芹香斗亜)に決闘を申し込むことを提案。親友のトニー(真風涼帆)に協力を頼もうとする。リフと共に「ジェッツ」を創ったのはトニーだったが、トニーはひと月ほど前にケンカに明け暮れる日々から抜け出し、今はドク(英真なおき)の経営するドラックストアで働いている。そんなトニーに協力を仰ぐことにジェッツの急先鋒アクション(瑠風輝)は反対するが、結局はリーダーのリフの意向に従い、もうジェッツでの日々から卒業したのだと、はじめは取り合わなかったトニーも、弟同様の存在のリフの懇願に折れて、ジェッツとシャークスが集まるダンスパーティへ行くことを承諾する。トニーは、その夜、何か特別なことが起こる予感を覚えていた。
一方、シャークスのリーダー・ベルナルドの妹のマリア(星風まどか)は、兄に呼び寄せられプエルト・リコからニューヨークに来てひと月、兄の恋人のアニータ(和希そら)と共に働くブライダル・ショップと家を往復するだけの日々にうんざりしていて、今夜のダンスパーティを心待ちにしていた。ベルナルドはシャークスの仲間で内気で穏やかな性格のチノ(蒼羽りく)と、マリアを結婚させようと考えているが、マリアはチノには何も感じないと嘆き、今夜のパーティはアメリカのレディとしての私の初めての夜だとの高揚をアニータに語るのだった。
その運命のダンスパーティの夜。集結したジェッツとシャークスの面々がダンスバトルを繰り広げる中、トニーとマリアの視線が合う。運命に導かれるように手を取り、キス交わす二人。だが、その姿に激昂したベルナルドは二人引き離し、マリアを家に帰してしまう。後を追ったトニーは、マリアの家を見つけ出し、二人は互いの想いを確かめあって、翌日の再会を固く誓って別れる。
同じ頃、白人の男たちはプエルト・リコの女をただの慰み者としか考えていないといきり立つベルナルドは、ここは女性も自由を謳歌できるアメリカなのだと話すアニータの言葉にも耳を貸さず、ドクの店へ赴く。そこにはいらだつジェッツの仲間たちを戒めるリフが待ち受け、ジェッツとシャークスは武器を持った総力戦での決闘を約束しかけるが、飛び込んできたトニーの機転で、互いのグル—プで最も腕の立つ者が素手で殴り合って勝負をつけることで合意する。決闘について聞き出そうとするプエルト・リコ嫌いの地域の警官シュランク警部補(寿つかさ)の誘導尋問にも口を割らなかった若者たちのケンカが、本当に素手の殴り合いで終わるだろうか、と案じるドクに、トニーはマリアへの恋を語る。トニーが決闘を命に関わらない形で収めようとした真意を悟ったドクは、だが、肌の色の違う二人の恋の未来に不吉なものを感じていた。
翌日、トニーとマリアはブライダル・ショップで結婚式の真似事をして、お互いの愛を再確認するが、マリアは素手のケンカでも二人の将来の為にならないと、トニーに決闘を中止させるよう懇願。トニーはその願いを受け入れ、決闘の場に赴くが……

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『WEST SIDE STORY』という作品に接した時に、常に感じるのは、クリエーターに神が宿った瞬間がここまで詰まっているブロードウェイミュージカルが、あとどのくらいあるだろうか?という畏敬の念だ。この作品の礎となったシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は、やはり永遠の名作として、現在もあらゆる形で途絶えることなく上演が続いているが、やはり、古典としてそのまま上演することには何らの差しさわりもないものの、ひとたび現代の感覚に照らそうとすると、多くの困難が浮かび上がってくる。まず、「同じ街で代々争い続けている両家」という設定にリアリティーを持たすのが難しいし、更に、ロミオとジュリエットが、すれ違いによるあまりにも悲しい悲劇に至る結果を生む、仮死状態になり誰もが死んだと思うものの、42時間後には何事もなかったかのように目覚める、という秘薬の設定が極めて厳しくなる。麻酔薬、また麻薬などで説明をつけようとすればするほど、科学が発達していればいるほど、少女が1人で小瓶を飲み干してそのような効果を得られる秘薬と、現代のリアルが遠く離れてしまう。様々に試みられている『ロミオとジュリエット』の翻案作品が、もうひとつ傑作として残るに至らないのは、これらの問題が大きく関与している。

だが、この『WEST SIDE STORY』が、それらの困難を飛び越えた様には、驚愕すべき周到な仕掛けが為されている。代々憎しみ合う両家の争いは、肌の色、人種の違う人間同士の争いに。仮死状態になる秘薬は、あらゆる憎しみを乗り越えて、妹とも思うマリアと、自分の恋人を殺した男であるトニーとの恋を助けようと決意するに至った、アニータの身に降りかかった、許すことができないのも当然の暴力が言わせた、痛切極まる「嘘」によって生じた誤解に、それぞれ変換されている。この見事さ。現代の目から見ても、一片の疑問も差し挟ませないリアリティーには、いつ接しても息を呑む凄味がある。
そこに、物語の展開を支え、動かすジェローム・ロビンスの、初演から50年を経て尚、全く古さを感じさせない振付があり、更に、レナード・バーンスタイン作曲の、ミュージカル・ナンバーすべてが、1曲たりとも凡庸なもののない、音楽を聴いているだけで幸福になれるほどの、名曲揃いという奇跡が重なっている。「その時、バーンスタインに神が宿ったとしか思えない」というのは、劇団四季が一時期使っていたコピーだが、まさにその言葉通りの楽曲の素晴らしさには、ただひれ伏すばかりだ。「ミュージカル」というジャンルを語る時に、この作品を避けて通ることは誰にもできないだろう。それほど『WEST SIDE STORY』は、貴重で、唯一無二のブロードウェイミュージカルなのだ。

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ただ、この作品が現在も尚普遍性を有しているのは、人類が肌の色、人種の違い、文化の違い、等々、自分達とは異なるルーツ、異なる宗教、異なる思考や思想を持った「他者」に対する、謂われなき偏見や差別、それによる争いが50年経ってもなくなっていないという、悲しい現実があるからに他ならない。作品の中で、すべての人々が共に分け隔てなく暮らせる世界がどこかにある、そこへ行こうと歌われる「Somewhere」の美しさに、胸が詰まり涙するのは、今も人類がその「Somewhere」を創り出せていないからだ。『WEST SIDE STORY』を観て、「こんな時代があったんだね」と言える日がくることを、どれほど願ったろう。けれども未だその日は遠く、保護主義という名のポピュリズム、自分ファーストが台頭する現代では、むしろその日は更に遠ざかっているかのようだ。

けれどもそんな時代だからこそ、宝塚歌劇が改めてこの作品を取り上げる価値は確かに大きかったと思う。この作品の美しさ、それこそ神が宿ったとしか思えない鉄壁の完成度は、観る者に他者への理解と、寛容と、共存の大切さを静かに強く訴えかけてくる。それを20年ぶりに宝塚のスターたちが演じ、宝塚を愛する観客が受け取ったことで、もう何よりも尊い使命は果たされたと言っても良い。

実際、この作品を宝塚歌劇が手掛けることには、様々な難しさがつきまとう。ブロードウェイミュージカルとしても古典に属するこの作品は、ミュージカルナンバーが現代のそれよりも、遥かにオペラに近い方法論で書かれている。ヒーローとヒロインは輝かしく美しい高い声、アクの強い役柄は迫力を持った太く低い声。その楽曲の成り立ちが、どうしても女性だけ、つまり女声だけで演じる宝塚歌劇にとって、特に二枚目男役にとっての厳しさを孕んでくる。『エリザベート』『スカーレット・ピンパーネル』『ロミオとジュリエット』『1789』など、近年の宝塚が次々に確かな成果を収めている、楽曲にロックテイストが入ってきた時代のミュージカルと、『WEST SIDE STORY』の大きな違いはその点で、テナーの光り輝く高音を想定して書かれた楽曲を、男役のアルトのキーで歌うと、どうしても楽曲がそもそも求めた効果が得られにくい。これは演者の責任では全くなく、宝塚歌劇の特殊性に由来するところだけに、宙組八代目トップスターとして披露を飾った真風涼帆の抱えた困難には、決して少なくないものがあったはずだ。

だが、真風の常に鷹揚で、おおらかで大きな芸風と、大浦みずき、水夏希といった、宝塚の時代をつないできた過去のトップスターの系譜につながる、シャープな香りがあるビジュアルがもたらす、どこかミステリアスでクールなものという、ある意味アンバランスな個性の合致が、純二枚目のトニーの中に、少年期を脱して大人になろうとしている青年の、過渡期の揺らぎを描き出すことに成功している。少年の憧れと、青年の自覚と。真風のトニーが描いた両方の顔は、トニーが劇中で抱えるマリアへの恋と、リフやジェッツの仲間たちとの友情との狭間で揺れる想いとに、そのまま直結する効果になった。どちらかと言えば大人っぽい役柄で評価を得て来た真風から、こうした瑞々しさが浮かびあがったのは貴重で、ここからはじまる真風の時代に期待を抱かせる船出となった。

対するマリアの星風まどかは、何よりもよく通るリリカルなソプラノで、作品に寄与している。非常に早い時点でのトップ娘役就任で、更に、マリアはこの作品の終幕を1人で切る必要がある、従来の宝塚歌劇のオリジナル作品のヒロインとは、一線を画す大役だが、トップ娘役披露にして星風が、その役割を演じきったことは賞賛に値する。持ち味に少女性が色濃いのも、マリア役には打ってつけで、盤石のデビューとなった。

また宙組男役二番手スターとしての、やはりデビューとなった芹香斗亜が、抜群の立ち姿と存在感で、ベルナルド役を支えたのも見事だった。映画版のジョージ・チャキリスのイメージから、大役の印象が強いベルナルドだが、オリジナルのミュージカル版では、実は大きな持ちナンバーもないまま(映画版ではベルナルドとアニータがプエルト・リコの男女を率いて歌い踊る「アメリカ」は、オリジナルの舞台版ではアニータ以下、プエルト・リコの女性だけのナンバー)、1幕で命を落とすという、為所に乏しい難しい役柄だ。それを、芹香が本人の男役度の高さ1つに懸けて、立派に二番手の男役としての矜持を保っていたのはまさに天晴れ。花組時代の『邪馬台国の風』で同様の難しさを克服した経験が生きていて、色気も加わりシャークスを率いる確かなリーダーだったのが何よりだった。

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その恋人アニータの和希そらの出色の出来が、全体からも頭1つ抜けていて、この公演のMVPと言っていい抜群の力量を示している。粋な大人の女性で、頭の回転も速く、懐も大きいアニータは、前述したように作品の極めて重要な鍵を握っている大役で、歌、ダンス、芝居すべてに揃った地力が求められる。それら全てをクリアしただけでなく、野性的なビジュアルのハマりっぷりも加わり、目を惹きつけずはおかない存在として、作品全体を通して常に魅力的であり続けたのが素晴らしい。長身なスター揃いの宙組にあって、男役としては小柄なことで苦労も多かっただろう実力派が、ある意味その特性があったからこそ、一発逆転の満塁ホームランを放ったのだから、やはり演劇の神様はいるんだなと思わせられた。この才能を、是非今後も活かし、伸ばす場が与えられことを切に願う。

また、何しろ少年非行グループの対立の話だから、男役の働き場が極めて多いのも、この作品の特徴だが、ジェッツのリーダーリフを演じた桜木みなとが、そのジェッツのリーダーとしての存在感をきちんと感じさせる一方で、トニーに対しては完全に弟分の少年らしい、甘やかさを醸し出して秀一だった。「クール」のセンターも堂々と務め、大役をしっかりと自分のものにしていて頼もしい。
そのジェッツの面々では、リフ亡き後ジェッツを率いていくことになるアクションの瑠風輝に、もう一息の荒々しさが欲しい。アクションはリフ亡き後、ジェッツを図らずも率いることになり、リフも排除し続けた「女の子」のエ二ボディーズも仲間と認め、最後にはプエルト・リコ人も同じ人間だと認めるに至る、劇中最も成長する人物だけに、その変化を出す為にも、特に1幕の間にはいつ爆発しても不思議ではない少年、という色を押し出していくと更に良くなるだろう。ただ、アクションが、ドクの「俺がお前たちの年の頃には…」という説教を遮り「あんたが俺の年?俺の親父が俺の年、兄貴が俺の年、冗談じゃない!あんたは今の俺の年じゃないし、二度と俺の年には戻れないんだ!」という意味の、少年の焦燥を現すかなり大切な台詞が、今回の翻訳では非常に単純に「あんたは俺の年じゃない」という意味だけに短縮されていて、反発の仕方もボソッと突き放したようなものになっているのも、アクションという役柄の造形に影響を与えていると思う。これにどんな演出意図があったのかはわからないが、ここは世代間ギャップの重要な場面だけに、もう1つストレートで良かったのではないか。他にも今回の翻訳には、ジェッツとシャークスを「ギャング」と訳すなど、やや引っかかる言葉が散見されていて(直訳すればギャングで間違いないだろうが、やはり日本人の感じるギャングという言葉には、もっと大人のブラックな集団というイメージがあり、非行少年グループの彼らにはそぐわないと思う)、一考の余地がある。そのアクションに代表されるように、ジェッツのメンバーの個性が集団美にまとまっているのは、それが宝塚の美徳であるのは承知の上で、ブロードウェイミュージカルの、特に、この作品のジェッツに求められている様々な事情を抱えた非行少年たちとしては、もったいないと感じる。もっと個々が我も我もと飛び出してきて良い役柄ばかりだから、思い切って弾けて欲しい。もちろん公演を重ねるごとに、これはきっとよくなっていくことだろう。期待したい。
 
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終幕の運命を決めるチノに扮した蒼羽りくは、当初アクション役に扮するのでは?と予想していたが、内気で不器用で、言葉には出さないがマリアを眩しく思っている、という朴訥な青年をよく表現していて、この人が真に力をつけていることを改めて感じさせた。蒼羽はもちろん、ペペの美月悠、インディオの実羚淳ら、優れたダンサーがシャークスに多く、ジェッツに比して台詞やナンバーが少ないことを、ダンスでカバーしていたのは、やはりよく考えられたキャスティングだった。

娘役たちも、綾瀬あきな、結乃かなりらジェッツ側がキレの良いダンスで、花音舞、瀬戸花まりらシャークス側が豊かな歌で、それぞれに場を盛り上げ、ジェッツの一員になりたがっている少女エ二ボディーズの夢白あやが『神々の土地』新人公演のイリヤ役で見せた、かつてのトップ娘役白羽ゆりに通じる美しさを、異色の役柄にも込めていて目を引く。「Somewhere」の小春乃さよのカゲソロも実に美しく場を支えた。

更にこの作品の深みは、分別のあるはずの大人の男性の方が、少年たちよりも強い人種による偏見や蔑視を持っていることを包み隠さず描いている点でもあって、その代表であるシュランク警部補の寿つかさは、惚れ惚れするほどの嫌な奴の造形で、求められた役割を十二分に果たしている。そこからすると、虎の威を借る狐で、どこか抜けている分まだ愛嬌があるクラブキ巡査の松風輝は、実に味のある良い役者になっていることを、今回も如実に表している。彼らとは決して交わらず、トニーたちを見守るドクの英真なおきの、温かく得難い存在感が、作品を引き締めた。

総じて、男女で歌う歌、男女で踊るダンスに、果敢に取り組んだ宙組選抜メンバーの必死さが、作品の熱量と呼応していて、宙組誕生20年の節目の年に、彼女たちが流した汗が、宙組が重ねる歴史の力になるだろう舞台となっている。


〈公演情報〉
宝塚歌劇宙組公演
MUSICAL『WEST SIDE STORY』
原案◇ジェローム・ロビンス
脚本◇アーサー・ロレンツ
音楽◇レナード・バーンスタイン
作詞◇スティーブン・ソンドハイム
オリジナルプロダクション演出・振付◇ジェローム・ロビンス
演出・振付◇ジョシュア・ベルガッセ
演出補・訳詞◇稲葉太地
出演◇真風涼帆、星風まどか ほか宙組
●1/12〜25◎東京国際フォーラムホールC
〈料金〉S席 8,800円 A席 6,000円 B席 3,000円 (全席指定・税込)
〈お問い合わせ〉宝塚歌劇インフォメーションセンター 0570-00-5100(10時〜18時)
〈公式ホームページ〉http://kageki.hankyu.co.jp/



【取材・文/橘涼香 撮影/岩村美佳】


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