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奴隷解放を成し遂げ、今尚アメリカにおける最も偉大な大統領と呼ばれる、エイブラハム・リンカーンの生涯を描いた、宝塚花組公演ミュージカル『For the people─リンカーン 自由を求めた男─』が、KAAT神奈川芸術劇場で上演中だ(10日まで)。

アメリカ合衆国第16代大統領であるエイブラハム・リンカーンの、あまりにも有名なゲッティスバーグ演説「人民の人民による人民のための政治」を耳にしたことがないという人は、おそらくいないのではないか。この作品は、人は生まれながらにして平等であり、肌の色、人種に関わらず、すべての人々が人間としての尊厳を与えられるべきである、という崇高な信念に基づいて行動したリンカーンの、時代と格闘した激動の人生を、今や、宝塚の象徴的立場にある稀代の男役轟悠を得て、若手作家の原田諒が描き出した意欲作だ。

物語は1841年の、アメリカ合衆国イリノイ州スプリングフィールドからはじまる。州下院議員で弁護士のエイブラハム・リンカーン(エイブ・轟悠)は、今日も無実の罪で訴えられている黒人を助けるべく法廷に立っていた。見事な弁論で無罪を勝ち取ったエイブだったが、黒人というだけで不当な扱いを受けるアメリカ合衆国の奴隷制度そのものをなくす以外には、この現状を打破する道はないとの思いを新たにする。
そんなある日、エイブは地元社交界のパーティで、トッド家の令嬢メアリー仙名彩世と知り合う。メアリーは奴隷制度を容認する民主党気鋭の政治家スティーブン・ダグラス瀬戸かずやからの求婚を受けていたが、黒人メイドの窮地を救ったリンカーンの姿に好意を寄せ、またエイブも誇り高いメアリーに惹かれていく。
折から、マサチューセッツでは黒人奴隷解放運動家フレデリック・ダグラス柚香光が、無許可で集会を開いたという咎で連行される事件が起きていた。やはり奴隷制はアメリカ全土の問題だと再認識したエイブは、ホイッグ党から国政を目指す決意を固め、その志に共感する弁護士仲間のジョン・スチュアート高翔みずき、ウィリアム・ハーンドン鳳真由、助手のエルマー・エルスワース水美舞斗、そして生涯の伴侶となったメアリーの協力を得て、ワシントンD.Cに向かう。だが、折も折アメリカとメキシコの間で戦争が勃発。連邦議会で激しく対立したエイブとスティーブンだったが、更なる奴隷の投入によって領土を広げ国力を高める政策を掲げる民主党に国民の支持は集り、ホイッグ党は弱体化。エイブは1度は国政から身を引くことを余儀なくされる。だが、黒人奴隷解放運動を続けるフレデリックと出会い、「あなたこそが我々の希望の星だ」との想いを託されたエイブは、共和党を立ち上げ再び国政へ、更にはホワイトハウスを目指して邁進する。だが、奴隷解放を志すエイブの台頭は、豊かな農地と財産を維持する為に、奴隷制度を欠くべからざるものとしていた南部諸州の離反を招き、アメリカ合衆国は国を二分する南北戦争へとひた走ってゆき……

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これまでも、バレエ・ダンサーのヴァーツラフ・ニジンスキー、戦場写真家のロバート・キャパ、大マフィアのアル・カポネなど、実在の人物に作品の題材を求めてきた原田諒だが、今回のエイブラハム・リンカーンには、当然ながら多くの展開を政治劇に費やす必要があるという課題があった。更に、黒人を奴隷として扱って来たアメリカ合衆国が、今も解決したとは到底言い難い人種差別問題に正面から取り組むことも不可欠で、これまで以上に宝塚の舞台でミュージカル化することの難しさが横たわっていたと思う。もちろん世間一般のイメージよりは遥かに、硬派な作品も取り上げてきているのが宝塚の歴史だが、単純にリンカーンと言えば誰でもが思い浮かべるだろう、豊かなあごひげを蓄えたビジュアルが、宝塚の二枚目スターに相応しいか?ということだけでも、困難は小さくなかったと思われる。
 
だが原田は、若き日のリンカーンの崇高な理想と、恋、挫折からの復活などにほぼ1幕を割くことによって、作品に主人公の成長物語としての爽やかさを表出することに成功している。特に後世伝えられところによると「悪妻」だったとの評価も聞かれるメアリーを、リンカーンの理想に共鳴し、苦難を共にし、主人公を愛するヒロインとして造形したことで、ロマンスの香りと、大統領の妻であるが故の悩みという、家族劇の側面も加味したのは、優れた効果になっていた。これまでどちらかと言えば、ヒロインを描くことは得手ではないのか?と感じさせてきた原田作品が、こうした題材の中にあってもきちんとロマンスを構築したことは、宝塚というフィールドで活躍する劇作家である原田諒にとっても大きな進歩だろう。主役に集中し勝ちだった作劇に、多彩な人物を活躍させることができているのも嬉しいことだ。
更に近年の原田作品では、もう1つの楽しみとも言える松井るみの装置とのタッグが今回も健在で、様々に可動する階段を用いたスピーディな展開が作品の怒涛のような流れを助けている。中でも、あっ!と言わされたラストシーンの階段の妙は、2階以上の席から観るとより美しいに違いない。秀逸な発想に拍手を贈りたい。

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そうした作家の成長を、受け留め支えたのが、作品を牽引する轟悠であったことは論を待たないだろう。奇しくも南北戦争を、南部の側から描いた宝塚の代表作の1つである『風と共に去りぬ』のレット・バトラーを、これも当たり役の1つとしている人だが、今回のエイブラハム・リンカーンで示した渾身の演技は、その当たり役をも凌駕するものに思われた。おそらくリンカーンその人が、苦境の中でも生涯貫き通した崇高な理想への情熱に通じるものを、宝塚の象徴たる轟自身もまた有しているのではないか。そう自然に想起させる、全編フルパワーの迫力と存在にはただ圧倒させられる。青年期の高揚も、戦いに挑み破れた苦難も、そこからの復活も、更には大統領であると同時に1人の父親であることへの苦汁も、すべての場面で轟悠の全身全霊の芝居には、魂を揺さぶられるし、それでいて男役の神秘、ダンディズムが崩れることがないのは驚異的だ。謂わばこれは、轟悠の、轟悠による、轟悠の為の芝居で、後半に登場する、前述したように二枚目男役には相当にハードルの高いあごひげ姿も美しく、この企画自体が轟あってこそ宝塚で成立したものだとの思いを新たにした。

その妻メアリーに扮した仙名彩世は、伝統的に上級生娘役の層が厚い花組の系譜を、今後引き継いでいくことが予見される実力派ぶりを披露。地域の花形として誇り高く美しい娘時代から、リンカーンと共に歩み、苦難の中でも彼を支え、ファーストレディとして、また1人の母として懊悩する姿に、健気さと同時に気高さがあるのが何よりもの美点。高い歌唱力も如何なく発揮し、ヒロインとして作品の華たりえていた。

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また、圧倒的な存在である轟悠に対して、花組男役陣の働き場が多いのもこの作品の特徴。自らも奴隷として半生を生き、黒人奴隷解放運動に身を捧げるフレデリック・ダグラスの柚香光は、さほどに多くはない出番の中で、実に鮮烈な印象を残している。題材が題材だけに、通常の宝塚公演よりも人種を表す黒塗りが濃いが、鋭利な刃にも似た美貌がその黒塗りに映えて、冒頭の手かせをはめられたダンスシーンだけで、特段の強いライトが当たる訳でもないながら、自身が発光しているかのような光を放つのには驚かされる。リンカーンに不屈の魂を与える人物としての説得力も十分の芝居で、作品のアクセントとなっていた。
リンカーンの生涯のライバルとなるスティーブン・ダグラスには瀬戸かずや。近年花組でその個性が着実に重用されていて、轟と四つに組むことが期待される役どころに果敢に挑んでいる。作品の中で、奴隷制度維持を訴えた民主党を代表してもいて、後半潔く時代の変換を認める姿に、後にアメリカ合衆国に黒人大統領を実現させたのも、女性大統領候補が大きく躍進中なのも、民主党なのだという、2016年、今現在へも自然に思いが馳せられる。これだけの大役の経験は瀬戸にとっても大きな糧となるに違いない。リンカーンの親友の弁護士ウィリアム・ハーンドンの鳳真由のおおらかで、真摯な役柄の造形、リンカーンの助手で、南北戦争最初の戦死者となるエルマー・エルスワースの水美舞斗の、柔らかな二枚目男役としての輝きが共に光る。また、それこそ『風と共に去りぬ』で、宝塚ファンならばお馴染みの名前だろう南北戦争南軍の将、ロバート・エドワード・リーの英真なおき、リンカーンの弁護士時代の上司ジョン・スチュアートの高翔みず希ら、ベテラン組の好助演に併せて、矢吹世奈が北軍を代表する軍人役で気を吐いたり、リンカーンの息子ボビー役の亜蓮冬馬など、若手の台頭も頼もしかった。

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何よりも基本的に、宝塚にとっては決して近くになかった題材を、轟悠以下、30名の出演者が果敢な体当たりで演じている姿が清々しく、轟悠の存在が宝塚の可能性を広げることを再認識させる力作となっている。KAAT神奈川芸術劇場に初登場した宝塚歌劇が、贅沢な劇場空間に相応しい、力強い作品を放ったことを喜びたい。


〈公演情報〉
宝塚花組公演
ミュージカル『For the people─リンカーン 自由を求めた男─』
作・演出◇原田諒
出演◇轟悠(専科)ほか花組
●3/5〜10◎KAAT神奈川芸術劇場
〈料金〉S席 7,800円、A席 5,000円(全席指定・税込)
〈お問い合わせ〉阪急電鉄歌劇事業部 03-5251-2071


【取材・文/橘涼香 撮影/岩村美佳】



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